人権擁護法案が希求される社会情勢、審議過程、賛否両論へのリンク集など。(改訂:2005-08-29)
- 第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
- 第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
1995年、日本国は人種差別撤廃条約へ加入するにあたり、「人種的優越又は憎悪に基づくあらゆる思想の流布」、「人種差別の扇動」等につき、処罰立法措置をとることを義務づけ
た第4条(a)及び(b)に留保をつけました。国連の人種差別の撤廃に関する委員会は、日本の第1回及び第2回定期報告(それぞれの提出期限は1997年1月14日、1999年1月14日)を、2001年3月8日及び9日に開催された第1443回及び第1444回会合において審査し、2001年3月20日に最終見解を採択しました。その中に、以下の一節があります。
10.委員会は、本条約に関連する締約国の法律の規定が、憲法第14条のみであることを懸念する。本条約が自動執行力を持っていないという事実を考慮すれば、委員会は、特に本条約第4条及び第5条に適合するような、人種差別を非合法化する特定の法律を制定することが必要であると信じる。
これに対し日本国政府は2001年7月、意見書を提出しました。その中で我が国の現状が、既存の法制度では差別行為を効果的に抑制することができず、かつ、立法以外の措置によってもそれを行うことができないほど明白な人種差別行為が行われている状況にあるとは認識しておらず、人種差別禁止法等の立法措置が必要であるとは考えていない。
と説明しています。その後、委員会は新たな見解を示していません。
本稿では小倉秀夫さんの誘導に従い人種差別撤廃条約を軸にまとめましたが、新たな立法措置が期待されるその他の外交的背景は外務省:外交政策「人権」の項より辿ることができます。
1948年に創設された人権擁護委員制度は、翌1949年に人権擁護委員法の制定により法的位置づけが明確になり、現在では約14000人の委員が人権擁護活動を行っています。しかし同制度は長年、力不足が指摘され続けてきました。そこで1996年12月26日、人権擁護施策推進法が公布され、人権擁護推進審議会が設置されました。
現状と課題を洗い出し対処策を検討してきた審議会は2001年5月25日、人権救済制度の在り方についてを答申、会長談話にある通り、新たな人権救済制度の創設
(=新法の制定)を迫りました。なお、審議会は2002年3月24日、人権擁護施策推進法第3条の失効に伴い解散しています。
人権擁護推進委員会の答申を受け法務省は作業を開始、2001年12月4日の新聞各紙に人権擁護法案の素案概要が報じられ、翌5日の衆議院法務委員会にて質問が出ています。そして2002年3月8日、第154回国会へ最初の人権擁護法案が提出されましたが、第155回国会(2002年後半)、第156回国会(2003年前半)と3会期連続で審議された末に廃案。しかし法案の再提出は規定路線であり、第159回国会と第161回国会でも3度ずつ小さく話題になっています。
2005年2月18日、第162回国会(2005年1月21日召集)の法務委員会において、南野知惠子法務大臣は以下の通り発言しました。
人権の擁護は、法秩序の維持と国民の権利の保全の任に当たる法務大臣固有の職責でありますが、すべての者がひとしく人権を享有するとの理念は、分野を問わず、社会の隅々まで行き渡るべきものと考えております。その具体的実現のために、新たに独立の行政委員会としての人権委員会及びこれを担い手とする新しい人権救済制度を創設する人権擁護法案の提出及びその成立に向けて精力的な取り組みを進めてまいりたいと考えております。
日本国政府は第162回国会への法案再提出・成立を目指し急ピッチで調整を進めましたが、自民党法務部会が紛糾した結果、法案提出は見送られました。
冷戦が終りバブルが崩壊した1993年、自民党支持層の退潮を背景に「市民派」の支持を受けた細川護煕内閣が誕生しました。短い羽田内閣を挟み、翌1994年、自社さ連立村山内閣発足。この時期、長年進展のなかった課題のいくつかが政治日程に乗りました。1995年の人種差別撤廃条約加入も、そのひとつ。人権を考える際、報道被害は避けて通れない問題です。となると国内法の整備に報道機関の賛同は得られず、難航が予想されます。第4条に留保をつけ、条約加入を優先させたのは、総論賛成各論反対の状況下で具体的な成果と既成事実を積み上げる判断であったといえます。
1996年、日本国政府は人権擁護施策推進法により人権擁護推進審議会を設置しました。75回の会議と幾多の公聴会から、従来の人権擁護委員制度には十分な問題対応能力がなく、多くの人権侵害を解決できずにいる現状が浮かび上がりました。そこで2001年、審議会は新たな人権救済制度の必要性を答申し、国連の人種差別撤廃委員会もまた法整備の必要性を指摘しました。2002年3月、法務省は人権擁護法案を国会に提出しましたが、1年半の議論を経て廃案。2005年、一部を改訂して法案が再提出されようとしています。
人権擁護法案は一日にして成らず。人権擁護委員制度50年の歩みが新制度を待望し、条約加入を契機に10年間の議論が積み重ねられ、新法案提出(予定)へと至ったのです。無関心な人は、別にいい。政治に無関心でいられるための間接政治制度でもあるのでしょう。ただ、抗議活動に燃えている方々は、国会議員らに怒りのメールを送る前に、これまでどれほど多くの方々がこの法案に関わり、何を議論してきたかを知るべきです。
実際に起こることは何か、よく考えてから意見しなければ、虚しい。例えば著作権法が、どう運用されているか。pya! のようなウェブサイトが、なぜ存続しているのか。Winny 利用者が2人逮捕されましたが、200万人中たったの2人。法と社会の現実的な距離感を掴むことが大切です。実情に即した建設的な議論を期待したいと思います。
様々な意見があります。ぜひ多くの記事をご確認ください。
「言葉の定義」の曖昧さをことさらに問題視して非現実的な(しかし理屈としては「可能性がある」)煽りを入れ、法案のもたらす利益を全否定する意見には賛同しません。「中途半端」の指摘と「言葉の定義」の要求は、自分に少しでも不利な意見に難癖をつける万能の戦略。「差別」を詳細かつ具体的に定義すれば、法案は骨抜きになります。それが社会にとって望ましいのか否か?
法の厳密さは、弱者の犠牲を生みます。しかし逆に曖昧さが生む犠牲もあるわけです。憲法第14条の曖昧さは巨大なグレーゾーンを生み出し、相当ひどい差別的発言さえも許される世界を現出しました。極端な名誉毀損や侮辱でなければ、罰することができません。無罪と有罪の間に、中間のステップがない。蟻の一穴論で一歩も引くまいとする頑なさは、ネット世論の担い手たちが嫌う老人の頑固さにそっくりです。老人の臆病を笑うなら、若者の臆病も笑っていい。
矛盾する憲法第14条と第21条について、日本の司法は第14条が保護する範囲を小さく、第21条が認める権利を大きく取る解釈を積み上げてきました。もし新法がこのバランスを破壊する解釈で運用されたなら、必ず憲法問題になります。司法は判例がモノをいう世界、悪法が社会を転覆させる前に必ず安全装置が働くはずだと私は信じています。これが楽観論の根拠です。
人権擁護法が待望される社会背景は、国の内外に存在します。新法案が廃案になった旧法案とほぼ同じ内容なら、修正してほしい点は多々あります。しかし私は「現状維持=廃案」が「望ましい着地点」とは思いません。「言論の自由が一歩引くべき局面」と考えています。