趣味Web 小説 2005-04-16

「そういうものか」という感覚―ネットでの騒動を考える

若隠居さんは人権擁護法案について反対からウィークな反対へ遷移された方。その過程を記す多くの記事において、若隠居さんは何度も何度も、嫌っていたはずの陰謀論へと流されそうになります。自分には理解できない他人の行動に対する、最も簡単な説明が陰謀論であるわけです。ひょっとすると、稀に本当に陰謀が存在するケースがあるのかもしれない。けれども、たいていそんなものは庶民の想像の産物に過ぎないのだと思う。

私はひとつの縁があって、高校時代にはあちこちの「偉い人」に会って話をする機会を得ました。みなふつうの人でした。空港建設反対派だったはずの元社会党国会議員・小川国彦さんが空港建設推進の旗を掲げて成田市長になったとき、唖然とした市民は少なくありませんでしたが、これだって何の陰謀でもない。人のやることだから、多少は汚い話もあったでしょう。ではそれが全てか。違うだろう、と。

小川さんは、意に反して土地を奪われる人々に対する補償と、計画推進の手続において承服し難い部分があり、なし崩し的な空港建設に反対するために一坪地主となったのです。シンポジウム開催をはじめとする幾多の交渉の積み重ねや、空港建設による地域発展の実績、補償面で折り合いがつきつつある状況などを勘案して、空港建設推進へ舵を切ることは矛盾でも転向でもない。その結果、空港建設そのものが絶対悪と主張する左翼過激派から命を狙われボディーガードの必要な生活を強いられたことを「自業自得でしょ」という市民が少なくない状況について、側近の方は苦笑されていたものです。

山本一郎さんが「けなす技術」の第6章で端的に述べている通り、ネットの圧倒的な無力さは無視できない。ネットは(さして)世界を変えませんでした。人権擁護法案の衆愚系まとめサイトがどれほど人気を集めたといっても1日1~3万人しか読んでいない。国会議員に1万通のメールが届けば、なるほど国民の声をある程度偽装することはできるけれども、それは60年安保あるいは70年安保のぬるい再現に過ぎない。政治に一番関心を持っていたのは、デモ隊の方々だったかもしれない。けれども、その彼らがみんな口を揃えて主張していることが、社会全体で一般的に正しいとされている意見かどうか? 無知蒙昧な馬鹿な国民を啓蒙してやるんだ、と思っていた側だって、結局、衆愚のひとつの形に過ぎなかった。

……というわけで、私は陰謀論よりも衆愚論の方にハマりましたね。ただ、ひとつ断っておくと、私は私の価値観において他人の主張を「賢い」~「愚か」と序列をつけているのだけれども、それはあくまでも私のモノの見方。「愚か」とされた側にとってみれば堪ったものではないだろう、と想像することくらいは、できるつもりでいます。

「冷静に話せば理解されるはず」「陰謀があるとでも考えなければ彼の頑なさは説明がつかない」といった考え方は、あまり実りがないと思っています。その背景には、「ひとつの価値観だけが(最終的には)正しく、常識ある人はみな同じ結論に達するはず」という前提があるからです。gakkun さんが陰謀論を唱え、対する若隠居さんが電波認定を行って対話を放り出したのは、典型的な帰結でした。たぶん、それ以外の結論が出ないんですよ、その方向で進むと。

かくいう私も、「どうでもいいよ、放っとけばいい」と思っても、それだけで生きられない。だから何度も、こんなことを書くのですが、どうでもいいことが無意味だとも思っていないのです。若隠居さんが、アンチ人権擁護法案漫画衝撃を受け早急な修正を要望することを邪魔するつもりは毛頭ない。むしろ賛成したい。ただ、ちょっと危なっかしく感じるのです。

昨年、私はウェディング問題に関心を持っていろいろ発言したわけです。最後にウェディング問題を考える会の第1回総会に出席して、疑問と意見をぶつけたのだけれども、このとき紀藤弁護士から「ネットにおける大変なバッシングにもかかわらずウ社の売上は落ちていない」事実が語られ、またウ社を代表して発言された方も「実害」を口にしませんでした。そういうものか、と思ったところで我にかえったことを覚えています。ウ社が薄弱な根拠でバッシングされてよいのか? という問題は問題として、「そういうものか」という感覚もまた、あった方がよいと私は思うのです。

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