趣味Web 小説 2005-05-09

理想と情熱、そして虚しさ

注:この記事の文章はハチャメチャですが、とくに改稿の予定はありません。

今回もデザイン案を渡されてから先の作業を担当。幅可変の段組で、ちょっとやそっとではレイアウトが崩れないもの……という希望を満たすため、今回もテーブルレイアウトになってます。前回書いた通り、これは仕方ないと思う。何はともあれ、デザイン案が示されてから4日で全部仕上げて公開できたのだから、Folio のウェブ製作もスピードアップしたものです。私が担当する創造力を必要としない作業は、短くなるに越したことはない。

ただ、いつものこととはいえ、こうした作業時間の短縮がコンテンツの創造に十分寄与しているかというと疑問が残る。ここが難しいところ。

ま、私が雑用だけを担当しているのは、そこに勝算があったから。HTML ファイル、テキストファイル、ワード文書など雑多な形式で提出された原稿を、所定のデザイン案にしたがってウェブサイトに変換していく作業については、「こうすれば簡単に、もっと速くできるんじゃないか」という腹案がありました。順調に経験値を積み上げて結果を出したことには満足していいのかもしれないけれど、暗中模索の道しかないと予測のついていた領域を他人任せにしておいて、「こっちはちゃんと結果を出しているんだからさ、後はそっちの問題でしょ」とはいえない。

読者から見れば私も編集部の一人で、「今回も発行予定に間に合いませんでした」の責任を等しく分担しているわけです。「そんなこといったってデザイン案が出たのが既に発行予定日より後だったんだけど」というのは、内部事情を知っている私一人にしか通用しない言い訳なんですよね。

とりあえず、確実に時間短縮できるところはやる、という目標は達成しました。でも発行予定日は守れない。正直、発行予定日がすごく重要だとは思っていません。いくら遅れたって、読者数には影響しないんだもの。つまり、割とどうでもいいことなんじゃないかという気はしてる。ただ、小なりとはいえ、趣味とはいえ、組織を回転させていくには「時間」の区切りが必要なのであって、目標をクリアできなかったというひとつの結果は、組織どこかに問題があることを如実に表していると思う。

テストの点数がよければ、すなわち「頭がいい」ことになるのか? 答えは「否」だと考える人が大多数だとしてもだよ、そしてそれはひとつの真実だとしてもだよ、やっぱりテストに正解できなかった事実が、ひとつの問題の所在を明らかにすることまでは否定できないでしょう。そして、テストに合格する「頭のいい人」と不合格の「頭のいい人」を比べたら、より完璧なのは前者のはずで、ようするに「テストなんてどうでもいい」ってことにはならない。

……とか何とか、そういったことを考えましたね、私は。

編集部に加わった時点で、自分が担当したい、自分ならできると思ったことは、何とか実現できた。でも、その結果として達成されるはずの目標は、達成されなかった。よくある話。でも。

私は社会の歯車となって生きたいと思っていて、組織のトップになって辣腕を振るうようなことは、もうたくさんだという思いがある。それは散々やっただろう、と。高校時代はその頂点で、自分は自分のやりたいことのために組織に食い込み、頂点に立ち、全体を振り回して望みを叶えてきた。私が膨大なエネルギーを注ぎこんでいる間は、みなも概ね私の目標に賛同してくれた。だからうまくいった。でも、私が抜けた途端に、そういった集団は目標を見失って瓦解していく。私の妄念ではなく、全体の空気、みんなの漠然とした思いを反映させていく組織になる。

私が Folio に期待してきたのは、定期的に〆切を設定してくれる「場」でした。それなしには、書きたいのに書けない文章があったから。できれば Folio は月刊になってほしいけど、諸所の作業負担が大き過ぎるということで、どんどん発行感覚が延びていってる。そりゃ困るぜ、おい。ということで一枚噛んだ。これが私の動機。

OB として組織崩壊の様子を眺め挫折感と虚しさを味わったことを私は忘れないが、一番重要なことは、一時的に自分がコントロールしていたかに思えた組織も、結局は借り物だったこと。私は自分で組織を作ることができなくて、みんなのための組織を自らの欲望のためにほしいままにしていただけだった。だから最後には灰燼に帰し、みんな傷ついた。不遜を承知で敢えて書くなら、私がガンガン介入していけば、一時的には Folio は〆切を守る雑誌になると思う。そして発刊頻度も増えると思う。で、それは素晴らしいことなのか。

ここで前段に書いたことをひっくり返すのだけれど、やっぱりテストの点数はテストの点数に過ぎない、ともいえる。私が猛烈な熱意で説いて回れば、いったんは「〆切はスッゲー大切!」「〆切厳守のためなら死ねる」といった熱病を蔓延させることはできるかもしれないのだけれど、Folio にかかわる人々の、素直な総意がそんなところにないことを、私は知っています。

高校時代というのは、私の理想についてこない人間を「バカ」だと思い、だからバリバリ啓蒙しようとしたんだ。みんなそれほど強い信念や理想を抱いているわけじゃないから、猛烈な独裁者がいれば、なんとなく組織はその方向で回りだしてしまう。すると次第に慣性力が働いて、あたかもみんな最初から同じ方向を向いていたような気分になってくる。でも、それは嘘なんだな。というか、私は私なりの挫折を通して、それは嘘なんだと思うようになった。私は私の職分を守り、自分の居場所の中で理想を追求するのがいい、と思うようになった。それなら、致命的な迷惑はかけずにすむだろう、と。

でもやっぱりアレですよね、今私は、Folio と〆切という題材でもってこうして話しているわけですが、これはひとつの例え話であって、何というかこう、あーまとまんない。

アレってなんだよ。

歯車じゃ嫌だ、という気持ちは分かる。分かるけど、世の中は自分中心で回っているわけじゃなくて。私は歯車になりたい。優秀な歯車に。でも、でも……。

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