趣味Web 小説 2005-05-10

追記(理想と情熱、そして虚しさ)

モノの見方はいろいろある。

私は高校時代の思い出を、これまで基本的に「成功談」として語ってきたし、今でもそういう思いは強い。「実績」は厳然としてそこにある。嘘でもごまかしでもない。数十年の組織の歴史の中で、少なくともひとつの面で、史上最高の結果を出した。それも圧倒的な結果だ。

もちろん、私一人の成果ではない。何せ、私がしたのは環境作りだけ。実際に成果を出したのは、才気あふれる仲間たちだった。私がいてもいなくても、そこそこ盛り上がったことは間違いない。ことによると、私などいなかった方が大成功につながったのかもしれない。けれども、そういう話は寡聞にして知らない(注:私が無知なだけという可能性は当然ある)。

けれども、ではそれだけか。それが唯一の歴史観か。そうではない。

私は高校時代の「成功体験」を、その後、積極的に再生産しようとはしてこなかった。むしろ、同じことは二度とするまいとしてきた。それは何故か? ひとつの回答を、昨日書いた。

「結局、肯定と否定、どっちなんだ?」と選択を迫る人は多い。そうやって簡単に割り切ろうとする。……と書くと、またぞろ不穏な空気が出てくるのだけれど、私は単純化について、それはそれで重要なことだと思っている。

だから、回答を示すことにしたい。

私は、高校時代にやったことも、Folio の現状についても、肯定的に考えている。

成果が出たんだから、細かいことは気にしないでいい、とは思わない。でも、とにかく成果を出したかった気持ちには今でも共感するし、私のしたことを恨む人がいても、それは甘受する。もっとうまくできた、自制があってもよかった、そうかもしれない。が、それが全てか。

Folio Vol.9 は今回もとてもよい内容だと思うし、多少の遅れは許容できる(と考える)。ただ、自分の領分で目標を達成しても、組織全体では目標を達成できないことについて、多少の徒労感はある。

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