マスコミに喜んでリークする"店"の連中のニヤつき笑いが浮かんできて、お客様の話は聞いても聞いてないフリ…っていう、ぼくたちの頭の中に巣くっていたある種の暗黙の了解が音を立てて崩れてきますね。
敷居を跨ぐ店は選ぼうね。
私は1980年生まれなんだけど、少なくとも私の記憶を探る限り、大衆向けのお店でそのような暗黙の了解
が確固として存在した時代を知りません。
時々勘違いしている人がいるけれど、聞き込み取材にちょっと協力しても、マスコミは謝礼なんてくれませんよ。だから、動機は金儲けじゃない。ニヤつき笑い
という表現は、「では一体何が動機なのか」について、ひとつの説得力ある仮説を示しているとは思う。ただ、個人的な経験から類推するなら、話はもっとずっと単純ではないかと思う。
尼崎の事故について JR 西日本の社員が休日にやっていたこととかについてワーワー非難しているマスコミに対する意見として、例えばこんなジョークがあります。
わかったわかった、「事故当日、138人の職員が快楽のためのセックスをしていたことが判明。うち16人は生」とか、とことんまで叩きゃいいじゃねえか。「奥さんはそれで満足してましたか?答えて下さいよ!」とか。
特に不適切な体位でコトをイタした不届き社員を調査して、部署別体位別できちんと報告せよ、とか。
essa さんはジョークのつもりなんだろうけれど、essa さんが引用した id:hon さんの主張は、実はジョークを装ったマジな意見じゃないかとも読める。
で、こうしてマスコミを叩いている意見がワッと盛り上がったのが数日前のことなんですが、ネット世論が国民のふつうの声かというと、そんなことはない。店員がどうして客の会話を報道にバラすのかといえば、それは怒っていたからに違いない。あいつらを許しておけるか! と正義に燃えたからに違いない、と私は予想します。ただそれだけのことなんじゃないかと。
で、そういった感情に基づくリーク情報というのは、私の生きてきた範囲内では常に世の中に存在しました。昔はそうではなかったという意見が仮にあったとしても、にわかには信じ難い。店員さんが3人いれば3人、10人いれば10人全員が、「仮に悪いことであっても、商売上知りえた秘密は絶対に他人に漏らしてはいけない」と考えていなければ情報は漏れます。「家族に話すくらいいいだろう」「友達に話すくらいなら許されると思う」なんてことになると、ますます封じ込めは困難になりますよね。
ニヤつき笑い
のような形で表現される感情が動機なら、犯人はある程度限定されてくると思う。そうではなくて、正義観からの情報リークだったとなると、これはもう誰が犯人でもおかしくない。まあ、「犯人」という言い方はともかくとしましてね。
この手の情報が事件のたびに掘り起こされてくるのは、情報の消費者がそれを許容しているからです。客の会話を盗み聞きして得た情報をマスコミに流すことを叩くより、マスコミを通して自分がその情報にありつけたことを喜ぶのが日本の多数派だから、「悪者」を叩くためなら暗黙の了解を破ったことなんて気にしていない。その同じ空気がリーク者にもあって、だから悪びれもしない。マスコミの記者は、消費者やリーク者と同じメンタリティでルール破りに無関心になるか、あるいは「そういう仕事だし」と割り切っているか。
これはテラヤマアニさんのコメント。これまた同じ問題の別な表現。勝てそうな相手として中学生が選ばれたのは事実だろうけれど、それだけかな? アニさんの文章がパクられたときに、パクった側を見下げ果てた屑野郎だと思った人はたくさんいたはずだけれど、そのアニさんが他人の写真を無断転載して知財にたかるダニ
と自称しても「開き直りやがってムカつく」と思った人はいないと思う。
面白いサイトだから、好きなサイトだから許しちゃう。そんなことで、不正義が気にならなくなる。美人の画像のいくつかは、全く何の必然性もなく転載されているのに、何とも思わない。(情報消費者もリーク者も)社会正義に燃えて、お店の信用とかお客さんの安心感なんかどうでもよくなってしまうことと、構造は同じ。
ようするに何がいいたいのかというと、店員の情報リークを許容するのが、この社会の暗黙の了解なんでしょ、ということ。アニさんが肖像権の侵害を指摘されないのも。それでいて、国民の常識として許されないタイプの情報リークに対しては、絶対に「情報をリークした」という理由でバッシングが起きるはずだし、肖像権侵害問題だって、これまで多くのサイトを潰してきたことは周知の通り。著作権を理由に「痴漢男」出版を怒る人々が、自分たちの大好きな「痴漢男」まとめサイトが著作権侵害画像を多用していることに無関心なのも、暗黙の了解なんだよね。
日本で「常識」にしたがって生きようと思ったら、このように矛盾に満ちた状況を受け入れなければならない。……という現実は、もはや暗黙の了解どころか、当たり前の空気になってしまっていて、意識しないと「常識」通りに生きられない私はいつも苦労してます。ホント、世の中わけわかんないんだから。