趣味Web 小説 2005-08-09

実名と顔写真の公開について・2

じつは、子どもの顔写真問題には、別の見地からの批判が存在します。

自分の顔は塗りつぶしたり出していないのに、子どもの顔だけ出すというやり方に違和感を覚えた。ご当人は顔が出るのは恥ずかしいとか、ほかの理由で、厭なのだろう。子どもなら構わないのだろうか?

これは強烈。

いずれにせよ、sugar さんの問題提起は、単純な二分法で考えると世界の実相を消化することはできない。「誰のものか?」という問いに、単純な答えを返すなら「本人のもの」となってしまう。では親が家族の写真をウェブに公開する際に、家族全員の承諾が必要なのか? あるいは大学の研究室で学生の写真を公開する際に、教授は全学生にいちいち断って回らねばならないのか? 法律を厳密に解釈するのではなく、現実問題としてたいていの場合どうなのかということを、考えてほしい。

結局のところ、問題というのは、厳密な法解釈をした場合の境界線付近ではなく、もう少しずれたところで発生します。

単に「将来、子どもが嫌がるかもしれない」からダメ、という意見には反論がありますが、それは別の機会に。ここでは、「人が自分に関するデータをコントロールする権限の最適な限度はどこか?」という難題が存在することをご紹介するにとどめます。

そして sugar さんの強烈なカウンターには白旗を揚げるしかない。子どもの顔写真を出すなら、親もそうすべきだ。そして子どもの名前を出すなら、自分も出せ。これは私の倫理観。親は親、子は子でいい、という考え方もあるだろうけれど、sugar さんが違和感を覚えたという事例に私は怒りました。特定の写真を紹介することは差し控えるけれども、親の顔を白く塗りつぶし、子どもの笑顔だけを残した写真を見た際には、憤りで身体が震える思いがしたものです。

これまで私の知る人々は、親の姿をフレーム外に追いやるなど、もう少し自然にやっていたので、問題に気付きませんでした。けれども、親の顔を塗りつぶしてのっぺらぼうにした写真を見て、これは罪深いな、と思いました。まず、非常に個人的な感情として。

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