趣味Web 小説 2005-08-10

実名と顔写真の公開について・3

全然まとまりのないシリーズ記事第3回。

NHK「人間ドキュメント」の女拓問題というのがありまして、

親は女拓をとってもらおうとして来た。TVで流れる事も承知はしていた。ただ、娘はどうなのか。年端の行かぬ子供で親に連れて来られただけ。アイドルのようにそれがどういう拡散をするのかの覚悟して「契約」を行った訳でもない。もし色々と判断がつく歳になった時にこの娘はどう思うのか。

なんて理由で批判されていたりします。そういう心配がある、ということは認めます。ただ、それが重要なことなのか否か。以前も自閉症児を描いたテレビドラマに、自閉症児が自閉症児の役で出演した際にも問題視する方がいました。馬鹿馬鹿しい、と私は思う。そんなことをいったら、赤ちゃんをテレビドラマに出すことはできなくなってしまうではないか。いや、出さなくてもいいじゃない、という意見はありうる。

小学校中学年の子どもを大人扱いせず、親に連れて来られただけと判断するとなると、子役だって親の言いなりで芸能人をやっているだけと判断していいのではないか。テレビ取材を知っている人ならわかるだろうけれども、隠し撮りでない限り、あれは相当に目立つ。小学生が、撮られていることに気付いていないわけがあるか。ないよ、それは。だから、赤ちゃんどころか小学生を描くドラマだって作れないことになる。そういうのはアニメか何かでやって、大人の声優が声を当てなきゃいけない。それでもいいんだ、という考え方はありうる。ありうるけど、私は賛成しない。

「清潔と人権」問題でも何でもそうなんだけれども、誰も傷つけない生き方はない。9.11 に際してアメリカ合衆国のブッシュ大統領は善良な市民を全面的に擁護したのだけれども、ブッシュ政権の中枢にいる人には、よくよくわかっていたと思う。静かに幸せに暮らす善良な人々でさえ、誰かを傷つけ悲しませ、命を賭した抗議行動を起こさせるに至ったのだということを。

成田闘争を憎む私は 9.11 のテロリストにだって賛同しないけれど、東京にサリンを撒かせた麻原さんが犯罪者で、バグダッドに爆弾を落とさせたブッシュさんはオッケーというのはおかしい、みたいな意見を理解できるかできないかと問われたら、それは理解できる。そしてまた、ぐったり疲れてしまうのだけれど、成田で善良な市民の家を放火して回ったり、警察官を囲んで竹槍で刺し殺した連中の気持ちだって、お話としては理解できてしまう。

つまり何がいいたいのかというと、子どもの顔写真を公開するとかしないとかといった話をするときに、将来、子どもが「嫌だな」と思う可能性……なんてものを錦の御旗にしてほしくはないのです。大上段に振りかぶっておいて、いいたいことはそれだけか、という感じは私自身するわけですけれども。

人は必ず誰かを深く傷つけている。気をつけていれば大丈夫? それは驕りだと思う。少なくとも、自らの生き方を反省せずテロリストらを一方的に責め立てたアメリカ政府の考え方を批判した方々には、考えを改めてほしいと願っています。もちろん、相当程度に似通った価値観の人ばかりが集まっている場においては、いくつかの仮定を用意することができますが、まずは原理主義的に話を進めたい。

私がいいたいのは、誰も傷つけまいとしたら、人は生きられない。だから、人が生きていくためには、どこかで折り合いをつけなければいけない。そうした認識に立って、妥当な線を探るべきだ、ということなのです。どこまでも後退していった先に「絶対に子どもが傷つかない地点」があるなんて、私には考えられないのです。だから、私は可能性の話を言い募り、子どもの肖像権は子どものもの、といった厳密な法解釈とか、素朴すぎる問題の単純化には賛成できません。

現実的にリスクと利益を見積もっていくべきだと思うのです。

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