趣味Web 小説 2005-08-21

東さんの問題意識:GLOCOM forum 2005 参加報告・5

1.

最後のプログラムがパネルディスカッション。参加者は公文俊平さん、吉田民人さん、國領二郎さん、鈴木健さん、そして司会は東浩紀さん。

2.

たいへん興味深い内容でした。「情報社会の合意形成」というテーマには東さんが無関心なようで、実際には「設計」が主なテーマとなりました。参加者が言葉に詰まる場面、明後日の方向へ議論が飛んでしまう場面が幾度もあったにもかかわらず、最終的にはいくつかのキーワードでうまくまとまっていったように思います。思いますが、ちょっと私の能力を超えていたかな、という感じ。

「最適と満足の不整合」「分散と集中」「大は小を兼ねる」「雰囲気としての情報公開から生まれる信頼→存在としての情報の価値」「利己的な行動から集団の最適行動を導く」……こうした魅力的な内容がどのように絡み合っていったかは、録音ファイルでぜひご確認ください。

3.

討議を聞きながら私が気になったのは東さんの司会ぶりでした。20日の ised のときからそうだったのですが、東さんは事前に2つの問題意識を用意して今回のフォーラムに臨んでおり、ことある毎に同じ主張を繰り返されたのでした。

  1. 価値観の多様化が究極まで進むと、少数の有力な価値案内システムが無数の微力な価値案内システムへ分裂し、人為的選択が不可能になる→個人情報の徹底提供により自動情報処理システムの個人最適化以外に解決策がない?
  2. 価値観の多様化が究極まで進んだとき、人の意志に依存した組織形成は不可能となる→個々人が自分の欲望を満足させる行為をしているだけなのに、自然と機能するような社会システムの設計が求められる?

じつはこの他に「情報量の増大が処理能力の向上を大幅に上回る→自ずと集権的システムは破綻する」という意見も何度か提示されていたのですが、これは前記の2項目が前提としている世界観と矛盾するので、あくまでも討議の材料としての意見投入と解釈しています。

前日の ised の倫理研は東さんが司会、設計研は鈴木さんが司会でした。

東さんはさすが大役を任せられるだけのことはあって、非常に頭の回転が速い。各発言者の要領を得ない長々とした言葉をギュッと圧縮して次の言葉を引き出す鍵へと作り変えていく作業に長けており、沈黙が続くことがないよう、奮闘されていました。何度か、崎山さんが発言を求めて小さく手を挙げているのを見落とす失態を犯しましたが、ゲスト参加者だけに次に話を振る相手として失念しがちだったのかもしれません。

一方、鈴木さんの司会は素人風。基本的に「それでは、みなさん順番に意見をどうぞ」なんですね。みんな「う~ん」と考え込んでしまうと、とりあえず適当な人に振る。でも、振られたって困るわけですよね。東さんは、とりあえず自分が何か喋るわけです。そうして話の糸口を強引にでも作っていく。その場面で、何度も繰り返し提出されたのが、先に示した2項目だったのです。

4.

東さんにとって前出の2つの問題意識は、当人が一番強く疑問に思い、課題としていることなので、しばしば行き過ぎも生じます。これはひどいと思ったのが、はてなダイアリーのキーワードシステムと鈴木健さんの PICSY についての解釈。とくに PICSY の方は「そりゃないよ」って感じ。

PICSY とは伝播投資貨幣のことで、300年後の貨幣システムとして構想されているものです。

現在の資本主義では貨幣の授受が取引当事者の損得だけを基準に行われます。それゆえに、アダルトサイトのスパムメール業者のように、大勢にダメージを与えても、とにかく儲かればいいという輩が出てきます。PICSY では、ある行為の影響がどんどん伝播していく様子を測定し、その総体として社会に生じた利益が分配されます。よってスパムメールなど大勢の不幸を前提とした商売は、損益分岐点を下回って成立しなくなることが予想されます。

このシステムについて、鈴木健さんは「善行に動機付けする仕組み」と説明されました。ところが東さんは「その発言は誤解を招く」とし、「一人一人は自分のことしか考えていないのだけれど、結果的にみながよい行いをするようになる仕組み、というべきではないか?」と迫ったのです。これはおかしいですよ。

鈴木さんは性善説で語っているのです。現在の資本主義では、「本当は正しい行いをしたい」と思っていても、「でも生きていくためにはお金儲けをしなきゃいけないから」という理由で、やむなく「悪いこと」を多かれ少なかれせざるを得ない面がある。ところが、そのような仕事の仕方は、PICSY によって一掃されるわけです。悪人が絶対に儲からない世界が到来するので、お金儲けが悪事の理由となる時代が終るわけです。

一方の東さんは性悪説だから、「もともと人間は善とか悪とかには興味がなくて、お金儲けがしたいだけだ」と。しかしじつはシステム設計者には倫理観を社会に押し付けることができる。そのひとつが PICSY であって、利益分配の条件設定次第で、「設計者が善と考えている行い」が結果的に人々によって演じられるようになるだろう……という冷めた考えなんですね。

別にこれは、どっちが正しいというわけでもないと思います。両方の感情を人は持っているのではありませんか。だから、鈴木健さんの説明が「誤解を招く」とするのは変で、「別の見方からも PICSY の意義は補強できますね」とするべきだったのではないかと思う。

5.

東さんは性悪説なんだけど、その一方で人間の多様性については、かなり大きな期待をもっていらっしゃる様子。だから価値観の多様化が進むと情報の取捨選択ができなくなって云々、というところへ行き着くと確信されているわけです。

倫理研でもパネルディスカッションでも繰り返しその予想は反論されたのだけれども、乱暴にまとめてしまえば、「人はそれほど多様であろうとはしない」ということなのではないか。少なくとも、当面はそうであるらしい。

「個人情報をどんどん提供していくことで自動的に最適な情報を得られる仕組み」というアイデアには、吉田さんのいう「最適と満足の不整合」があると思う。現実には「あらゆるサービスを自社提供する方向で発展中の Yahoo とライブドア」という事例があり、Google だって結局はそういった方向へ向かいつつあるようです。権威は崩壊するどころか、むしろ強化されつつあるのではないか。ウェブで勝ち残る企業は、出版どころかテレビ局より少なくなりそうなのです。

ワープロ専用機の時代には様々なワープロがあったのに、今は Word が一人勝ち。自分に最適なソフトウェアを求めてさまようのは一部の人間だけで、大多数の人々は最大シェアのソフトウェアを使う。Windows だって、パソコンでは圧倒的シェアを持っているし、対抗馬の Linux も、もうひとつの巨人になっているだけでしょう。互換性のない OS が百花繚乱という状況にはなりそうもない。

ただし、最初の第一歩において多くの資本を必要としない(分野が少なくない)ウェブサービスの世界では、いつまで経っても小さな企業が全滅することはないでしょう。出版不況といわれながら本の書き手がどんどん増えていくようなものです。ブログの書き手もどんどん増え、小さなオピニオンリーダーも無数に誕生するでしょう。彼らが殺されることはない。

けれども、おそらく(ほとんど)誰も、「選択肢が多すぎて困る」とは思わないのではないか。「とりあえず Yahoo! ニュースでしょ」で足りてしまうのではないか。そして個人情報も、Yahoo! だけを利用することにして、Yahoo! だけにクレジットカード番号と住所と電話番号を登録する(Yahoo! ウォレット)ことで良しとする人が多いのではないか。

東さんのようなウェブの先端ユーザの意識は、いつまで経っても先端ユーザだけのものであり続けるような気がするのです。テレビを視聴し、新聞を読むだけで満ち足りて、はるかに多様な意見が存在する書籍の世界へ進もうとしなかったこれまでの人類と同様に。

6.

とはいえ、やっぱり東さんの司会は面白いです。あと、ディスカッションの会場で波状言論の CD-ROM 版が販売されていたので購入。新書10冊分で4000円なら悪くないな、と思って。それにバックナンバーをウェブで買うよりかなり安いですし、パソコンがクラッシュしてもデータが残るし……。通販も開始されたようです。興味のある方はどうぞ。

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