いろいろ思うところあって、最近注目している話題。
え? こんなにたくさん読むのは面倒くさい? じゃあ、こちらをどうぞ。
主要部分の引用で構成された、わかりやすいまとめ記事。(たぶん、まとめ人の言葉は意図的に省略されているのでしょう。そしてそれは、コピペレポートという話題を熱く語る人々への皮肉ではなく、コピペもやりよう次第で有用なまとめ記事に昇華されるのだよ、というポジティブな問題提起として機能していると思う)
大学の先生方は、実際のところ、どう考えているか。
丸写しが嫌なら、レポートを課さない。これに尽きると思う。
私は学生時代、教養科目でレポートを書いた記憶がほとんどない。千葉大学では「講義開始時に学生スタッフが出席者にレポート用紙を配布、終了時に感想と意見を提出する」という形式が好まれていた。人数分しか用紙を配らないので、遅刻や代返事などの問題は起きようがない。たいていはA5版普通横罫7mm×15行だったが、先生によってはA4版普通横罫7mm×35行の用紙を配る。そして「たくさん意見を書いてください」といいつつ、意見を書く時間は5分しかくれない。結局、講義中にバリバリ書くしかない。これは簡単なことではなく、結果的に授業中の居眠りも防ぐ方策ともなっていた。
教養科目では、聞いた話を一生懸命メモする必要はない。後につながる話ではなく、単発のお話なのだから、聞いている間だけ面白ければ十分で、その日の夕方には全部忘れてしまってもかまわない。それでは嫌だ、という人のために、配布資料と教科書があるのだった。でも不思議なもので、ぼんやり書いたノートの内容は忘れても、頑張って講義中に書いた内容はよく覚えていたりするから面白い。
ちなみに、教養科目で授業の終わりに提出したレポートが返却されたことは一度もない。教官に頼んだこともあるが、ダメだといわれた。採点結果も教えられないのだという。後に人伝に聞いた話では、出席率(=提出率)と記述量で成績を決めていたらしい。短時間にガリガリと書かれた汚い字の200枚のレポートを精読していたら給料に見合わない。どうせつまらないことしか書かれていないだろうし。合理的な基準だと思った。
一方、教養科目では一般人の方が外部講師として教壇に立たれることも多かった。千葉大学には「総合科目」と称し、大きなテーマについて、毎週異なる講師がそれぞれの専門分野の視点から語る形式の教養科目がある。私はこの総合科目が大好きで、卒業に必要な単位数の10倍くらい、聴講した。学内に同じテーマの専門家が13人(全15回の内、最初はガイダンス、最後は試験または予備日となっていることが多い)もいるわけがない。自ずと総合科目では外部の方がよく登壇される。外部の方は他大学の先生または一般人の方だったが、とくに一般の方にはレポートを大切に扱う講師が多かった。きちんと整えて、ケースにしまいこむ。その手つきに、気持ちがこもっていた。
専門科目ではさすがに、レポートが課された。ただ、工学系でレポートを書くとなると、基本的にパソコンは使えない。数学、物理、化学を問わず、理系科目のレポートには数式や特殊な記号が次々に登場する。手書きの方が圧倒的にラクなのだ。パソコンは清書用の機械にしかならないというのが、学生の実感だった。手計算で解けない問題は出ないのだから、レポート用紙をノートのように使って考察と計算を進めていけばいい。
レポートを写すという行為は一部で行われていたが、まじめな学生が大半だったので、理解もできないのに回答だけコピーするような者は少なかった。理系の専門科目は積み上げの学問だ。今日サボったら明日はもっとつらい。だから、勉強の得意な学生がそうでない友人にあれこれ解説する私的な勉強会が、あちこちで開かれていた。「レポートできた?」「ばっちり」「見せてもらっていい?」「いいよ~」(中略)「ねね、ここ、どうしてこうなるの?」「あー、それはね(以下略)」……最初の一歩は「レポート見せて」なんだけれども、疑問点はきちんと解決していく。ひとりで悩んで半分白紙で提出するような学生より、よほどいい。
文科系のレポートの場合、とりあえず3つの縛りを設定することで、コピペ問題は概ね解消されると思う。
ちなみに向山洋一先生のレポートは傑作でした。「ウェブで**についてできる限り調べてプリントアウトし、調べた感想を配布したレポート用紙に書き、あわせて提出しなさい」たくさんプリントアウトした人が高得点、とのこと。それを読んだかどうかは感想レポートで判断する趣向。ところで、向山先生の家庭教育指南書はお勧めできます。お勧め順に4冊、ご紹介。