趣味Web 小説 2005-09-17

日本人は利己主義者か?

「個人の幸せを最優先に考えていけばいいんだよ」といわれて育った世代が、教えの通りに行動しないのは何故だろう。労働者は組合を作って経営陣にバリバリ要求を突きつけていけばいいのに。私の勤務先が、業績からは考えられないほどの高待遇を維持しているのは、労組のストが効いているからです。毎月更改される残業協定が交渉長期化により未更改となると、必然的に残業拒否闘争に突入しますが、これもまた効く。

労組が昔ながらの闘争を継続してきたおかげで快適な就労環境が守られているにもかかわらず、私は組合員ではない。「待遇が良過ぎる」と思っているからです。労組が掲げる一時金の要求額は過大だ。むしろ基本給の減給もあっていい。待遇改善を求めるビラ配りなんて、したくない。そう思う人は私だけではないので、毎年のように組合脱退者が出ます。これは経営側の陰謀ではない。むしろ数年前まで組合の闘士だった上司と折合が悪くなり、海外事業所へ移った人までいるほどなのです。

入社した年の暮れに発表された大規模な希望退職計画の顛末も興味深い。当初は一定年齢以上の社員全員に対して面接を行う計画でしたが、労組の断固反対によって、100名以上の社員を集めての説明会へ変更されました。課代以上(管理職扱い)の社員は組合員ではないので、計画通り個別面接。決して強制ではなかったというものの、希望退職者の多くが管理職だったのは偶然ではない。

意外だったのは、一般社員からも相当数の退職者が出たことでした。労組が強い会社だけに、本人が退職を希望しなければ、経営が赤字でも一時金は支払われ、基本給のカットもなかったのです。定年後も2年間の嘱託契約があります。他社に活躍の場を移す40代の方はともかく、定年まで1~3年を残すだけだった方々は、ひとり損をする道を選ばれた。おかげさまで年が明けるや株価は上昇し、さらに経営陣は苦しんだものの、昨年度は3期連続の赤字を免れ黒字路線を歩みだしたのでした。

労組が社員の権利について啓蒙を続けてきた会社でさえこんな調子なのだから、よその会社で組合が力を失っているのは当たり前。組織の再構築により職を失う仲間がどれだけいても、そして自分自身が職を失ってさえ、「強い労組を形成し経営陣の暴虐に断固対抗すべき」なんて考えない。数年前に早期退職した伯父は淡々と語ったものです。「仕方ないよ。有能な社員は組織に必要だろうけど、俺は力不足だから、邪魔者扱いされる前に辞めたのさ」

再度、言及したい。

内田さんは「弱者が瀰漫する」ということは「社会的リソースの権利請求者がふえる」ということであり、それは「私の取り分」が減ることを意味するので「弱者に優先的にリソースを分配せよ。だが、それを享受する『弱者』は私ひとりであって、お前たちではない」と人々は口々に言い立てる。この利己的な言い分に人々は(自分がそれを口にする場合を除いては)飽き飽きしてきたと解説されます。私の感覚は異なります。

もし日本人が利己主義の権化ならば、なぜ年功序列よりも(正当な評価システムを前提とすれば)成果主義に人気が集まるのか。なぜかつての厳しい累進課税制度を「ひどい」と思ったのか。なぜ消費税の廃止を訴え続ける政党に票が集まらないのか。日本人は、「自らの利益の最大化=正義」とは考えてこなかった。日本の弱者は、強者の世界観・価値観に共鳴し、自らの犠牲と負担を受け入れてきた。それは「弱者は醜い」という「勝者の美意識」ではない。

「弱者の瀰漫」に当の「弱者」たち自身がうんざりし始めている。という内田さんの見方には賛同しない。昔から日本人は「弱者の瀰漫」を嫌っていた。だから学生運動も労働争議も支持されなかった。信じる正義を実現するためなら自らの多少の犠牲は厭わない人々が多いから、利己主義を是とする文化人や有識者らの主張は選挙結果に反映されない

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