趣味Web 小説 2005-11-26

想像力の欠如はお互い様

はてなブックマークというサービスがある。登録ユーザはオンラインにブックマークを持つことができる。自分のブックマークを他人に公開し、簡単な個人ニュースサイトとすることも可能だ(現状では公開ユーザが大半)。

はてなブックマークでは、ブックマークされた記事ごとに、ブックマークしている公開ユーザと彼らの付したコメントの一覧ページが自動で作成される。このように、多数のユーザのブックマーク行動を集積し、新たな価値を生み出そうとするタイプのオンラインブックマークサービスを、ソーシャルブックマークサービスという。

はてなブックマークの事例

ブックマークされた記事ごとの公開ユーザ+コメント一覧ページ(以下「個別ページ」と称す)は、一般に公開されている。多くのユーザがブックマークした記事は、サービスのトップページから、当該記事と個別ページにリンクが張られる。そのためトップページの利用者は次第に増加しており、はてなブックマークで話題になった記事の管理者は、アクセス解析などを行っている場合、容易に公開されているブックマークコメントを参照することができる。

当然ながら、コメントは好意的なものとは限らない。そしてまた、批判的な、あるいは悪意の込められたコメントにショックを受け、サイトやブログの更新を休止、あるいは当該記事やサイト全体を削除する人がいることもまた現実である。

ARTIFACT@ハテナ系

加野瀬さんが指摘した「ブックマークコメントの暴力性」は、多くの反響を呼んだ。トラックバックを辿ると、多くの主張を読むことができる。私は、以下のように考える。

批判的なコメントをしたければするがいい。だが、「一般に情報を公開したならば、批判者が登場する可能性を想像せよ」と言い募り、批判に耐えかねて閉鎖するブログに悪態をつくのは自己矛盾だ。ウェブが免許制でない以上、批判に耐えかねてサイトを閉鎖するような人々の存在は容易に想像できるはずだ。戦略的に「信じられない」と発言することまで私は否定しないが、仮に本気ならば、人間観察の欠落を指摘したい。

はてなブックマークコメント問題について、私の基本的な主張は「無断リンク禁止派と闘う理由を問い直す」と共通する。それが誹謗中傷ではないと多数派に認められ、あるいは排除すべきと判断されない限り、批判するのは自由だ。批判対象がブログを消すのは、批判者には不愉快だろうが、批判を嫌う側にも閉鎖の自由がある。他者を押し潰すことに堪えられないならば、批判を自粛する他ない。

最後の希望は隔絶した価値観の差異を埋める言葉の発見だが、そう簡単には見つかるまい。

この記事の意図

ソーシャルブックマークの簡単な説明文のサンプルを書くのが当初の意図。後半はオマケ。

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