趣味Web 小説 2005-11-29

言うは易く、行なうは難し

すみません、同じ話を三度書きます。(第1稿第2稿

mala さんの記事の趣旨は、時代に取り残されている人々を啓蒙していくべきだ、ということでした。その論拠は、自サイトでは RSS の閲覧数が HTML 文書の閲覧数の10倍になっている、コメント欄への書き込みの100倍、はてなブックマークでコメントされている事実です。つまり閲覧者にとって、HTML 文書を見るより RSS を購読する方がよいのであり、コメント欄を使うよりソーシャルブックマークで公開コメントをつける方が気楽なのだ、と mala さんは解釈したのです。

ところが現在もまだ、RSS を提供していない著名な個人ニュースサイトが、国内随一のソーシャルブックマークサービスの20倍以上のアクセス流出力を持っています。この矛盾はなぜ生じるか? mala さんは、個人ニュースサイト管理人が(おそらくはその影響力を保持し続けるために)RSS やソーシャルブックマークの情報を隠蔽しているためだ、と考えました。そして「RSSリーダー」と「ソーシャルブックマーク」という便利な道具を1万は超えるであろう読者に教えずに、秘密にし、騙し続ける事に対して罪悪感はないのかカトゆーさんを批判しました。

なるほど、筋の通った推論です。しかし mala さんは、肝心な部分の調査を怠っていました。

2003年10月以降、カトゆー家断絶では毎月のように RSS 関連の話題を紹介し続けていることがわかります。

2005年2月以降、ときどき紹介されていますね。

読者に RSS リーダを紹介しても、ソーシャルブックマークを紹介しても、個人ニュースサイトの人気がガタガタ落ちていくわけではない。むしろカトゆー家断絶の人気は上昇し続けています。Read Me のデータを示せば、2004-11-27 には 29793visit/day でしたが、2005-11-28 には 31758visit/day となっています。

事実を踏まえて考えれば、mala さんの議論にはもとより無理がありました。mala さんのサイトは RSS リーダに飛びつくような geek が集まる、特殊事例でした。自サイトの読者像から一般人の姿を想像してはいけなかったのです。mala さんは、事実ではなく思いこみに基づいて議論を組み立て、誹謗中傷に至りました。

注:インターネット白書2005によれば、2005年4月時点で RSS の認知率は 20.9% にとどまり、RSS リーダの利用(経験)者は 9.5% に過ぎません。カトゆー家断絶の読者は、RSS 認知層です。その外側に、RSS なんて聞いたこともない8割の人々がいることには注意しなければなりません。

さて、私はカトゆーさんではないし、カトゆーさんは怒っている風でもないし、「謝れっ!」とかいいたいわけではない(謝った方がいいとは思うけど)。そもそも mala さん個人に何らかの行動を求めるなら、直接メールを出しています。

では、何をいいたいのか。

人は、自分の信じたい話を信じます。それが本当かどうか、よく考えない。人は、自分が常識だと思う考え方を、常識であると信じて疑わないことが多い。無論、何から何まで、きちんと調査して実情を確かめていくことは不可能です。しかしそれならば、私たちはもう少し、謙虚になっていいはずです。

mala さんは(一般人は)時間軸がずれているといいました。その意味は、「遅れている」です。ひとつの価値観を信じていればこそ、このような言葉が出てきます。もし、ずれているのが「時間」ではなく「価値観」ならば、一般人は遅れているのではなく、別の方角へ向かっているのです。(10年前のパソコンオタクが2005年の売れ筋はテレビパソコンだと聞いたら驚き呆れるでしょうね)

人は価値観の奴隷です。長年、飼い馴らされて、ご主人様を疑うことを忘れがちです。「現実」に裏切られてさえ、目を覚まさない。そうして私たちは、「世界を歪める巨悪の幻影」を、虚空に見出すのです。

RSSを吐かないサイトは糞サイト。閲覧者の利便を何も考えてないから。と id:ymer さんはいう。アンテナではご不満ですか。My RSS では用を成しませんか。手慣れた更新手順を守る限り RSS を出し難い事情もあることを理解できませんか。過去ログを読まずに最新の記事ばかり追うスタイルに疑問を感じませんか。そして、少数派の自覚はないのですか。その言葉で、人を説得できますか。

mala さんは、そして id:ymer さんも、ある日ある時の私であり、あなたでもあります。私は多数派への迎合を勧めたいのではありません。それは不可能です。たいていの人は、何らかの場面で少数派となります。そのとき、多数派の実相を直視せず、妄想を膨らませて得することは滅多にない。私が私であり続け、そして社会の中でよりよく生きてゆくためには、世界をきちんと見つめていくことが大切だと思います。

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