趣味Web 小説 2005-11-30

読書の秋でした

今月は、大学3年の某月以来となる濫読月間となりました。経済書を中心に、なんと読了本だけで50冊超。つまんだ本を含めれば3桁に迫る勢い。速読派の人にとっては驚くような数字ではないでしょうが、私にとっては衝撃的。昨年の一時期、レビューのためにウェブデザイン関連書籍を読みまくりました。しかしそのときだって1ヶ月でこれほどは読めませんでした。まさか今になって、これほど経済にハマるとは思わなかった、というのが正直な気持ち。

たくさん読むことができた理由は、大学3年当時の教育関連書籍への傾倒や、昨年、ウェブデザイン関連書籍に没入したケースと同じです。興味のある分野の本を集中的に読んでいくと、知識の吸収が忘却を大幅に上回ります。ふだんの読書は、メモリが不調で、データをいちいちハードディスクに読み書きしているようなもの。濫読モードは、いわば大容量メモリにデータを蓄積して高速で処理しているような感覚なのです。だから、スイスイ読める。だから、楽しい。好循環。

この調子で、あと20冊くらい進む予定。ただ、この勢いがなければ読めないだろうと思って、予定に組み込んだ経済学の教科書がメモリ異常を呼ぶ可能性が高い。要注意ですね。だいたい教科書ってのは、読むのにやたらと時間がかかる。これがいけないんですね。勢いが殺されてしまう。強気で押し通せるかな……。

リフレ派の本にばかり手を出さないよう、意識的に濫読してます。岩波新書が多いのは、近所の古書店で安かったからでもありますが、ふだん読んでいるのが産経新聞だからバランスを取ろうという意図でもあります。

最近は岩波新書を50年代からだんだん現代に向かって読み進めています。1冊ずつバラで読んだらつまらないのかもしれないけれど、通して読んでいくと、これが滅法面白い。私の歴史趣味がうまく効いて、ぐいぐい引き込まれているところです。証券不況で日本の高度成長は終るはずだった、ニクソン・ショックは10年前から予想されていた、学者時代の美濃部亮吉さんは財政赤字を強く戒めていた、etc. だったら、なぜ? みな一所懸命に頭を悩ましていたのに……。

彼らの「未来」を知っているつもりの私たちは、ついつい過去の人々の失敗を笑ってしまいがち。ところが、勉強すればするほど、安直な解釈で先人の業績を過小評価してきたことに気付かされます。

ところで、同じような本をたくさん読むのは無駄だと思う人は多いんじゃないかな。それが間違いだとは思いません。ただ、結局は本なんて、図書館と古書店を駆使すれば、お金より時間ですよね、問題は。1冊、2冊の本で勉強するなら、たしかに最高の本を迷わず選ぶべきです。夏休みの読書として太宰治「人間失格」や夏目漱石「こころ」を選ぶように。しかし濫読モードに入れば、1冊あたりの読了時間が激減して利益水準が下がります。こうなると、世界の見え方が変わります。錯覚か。

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