一私企業のやることなので、法律に違反していない以上、サービスの良し悪しはユーザが自然と判断するはずだ。現時点で問題を感じていないユーザに対し、内部のシステムを利用したテロ的な言説で問題意識の普及に努めるテロ活動は必要ない。逆にいうと、私が何かを書く意味もないのだが、ウェブに COOKPAD 擁護論がもう少しあってもよいと思うので、微妙な擁護論を書いてみる。
以下、読み飛ばし推奨。大したことは書いてません。
まとめサイトを一読して mixi の void さん退会事件を思い出した。void さんが排除されたとき、明確な規約違反のないことが問題視された。その主張に私は共感したが、void さんを排除したかった側の気持ちは痛いほどわかった。void さんの発言録を見る限り、いくら正当な疑問や批判であれ、「これでは、うんざりするのも当たり前だ」と私も思ったものだった。
void さんを排除した判断は、それはそれとして理解できる。2ch 運営陣に「荒らし」と認定された人は、2ch だけでなくプロバイダからも追い出されてしまう(参考)が、私企業の裁量として社会に許容されている。国が保障する最小限の人権の他は、社会との付き合いの中で獲得できるオプションに過ぎないようだ。
その頃(引用者注:2003年秋)のCOOKPAD内には小さな問題が多数存在していました。他のサイト・料理本のレシピのパクリや、ランキングに載りたいが為のむちゃくちゃなカテゴリ分け。主菜で検索を掛けてもドリンクで検索を掛けてもケーキがひっかかるような状態でした。それに疑問を感じ「この本を参考にしました、等の記述が抜けているみたいですよ」「カテゴリ分けの作業の時に間違って登録したのでは?」等々レシピ主に問い掛けていたのが、この頃登録したてのPさんとYさんです。
Pさんは、無駄のない言葉使いこそそっけなく感じさせるものの、パン作りに詳しく、カフェでパンの質問があれば親切丁寧に答えてくれる方で、周りのメンバーからだんだんと信頼を得ていきました。
Yさんはその言葉の端々に物腰の柔らかさが感じられ、理知的で、配慮に満ちた人柄にも惹かれる人がどんどん増えていきました。
この二人の行動は、前述した数々の問題に嫌な気分を感じていながらも、相手に直接言うことが許されるのか? どう伝えれば解ってもらえるのか? 逆に周囲に疎ましがられたりはしないだろうか? と、実際に行動に移すことのできなかったメンバーからどんどん支持されていきました。そして、二人の行動に感銘を受け、勇気を出して行動し始めるメンバーも現れたのです。COOKPADは段々と問題が解決されて、良くなっていくだろうと希望が見え始めてきたのです。
この記述には、著者の価値観がわかりやすい形で提示されている。現状には問題があって、問題を解決していくことが、よりよい未来への道なのだ、というわけだ。
ここで重要なことは、「果たしてそれは問題なのか?」という視点だろう。たしかに、問題視している人にとっては問題なのだろうね。ただ、例えば原子力発電所の廃止を求める活動にせよ、無防備都市宣言を目指す市民運動にせよ、当事者と話をしてみれば、彼らはその主張を常識的なもの、当然の発想とみなしている。たいていの事案は、圧倒的多数の無関心と、少数派の問題意識、という構図を持っている。もちろん、アンケートなどをとれば何らかの結果は出るのだろうが、その際、誰がどのようなレクチャーをするのかが重要だ。
office さんの「不正アクセス」事件も、のまネコ問題も、ネットで雄弁な人々が社会でどのように位置づけられるかということについて考えさせられた事例だった。ブログの炎上騒動も同様で、いくら批判者に一定の理があるとはいえ、コメント欄に粘着して休止・閉鎖まで追い込むことに賛成する人々が本当に社会の多数派なのか、疑問が残る事例も少なくない。
話を戻すと、P さんも Y さんも、見方によっては問題ユーザなんだ。世の中の不正を糺すといえばカッコいいが、当面は放置する方が社会的コストが低い「問題」も世の中には多い。性急な改善を求めて波風を立てること自体は否定しないが、もっと穏当な手段も検討されてよい。解釈改憲で自衛隊を設立して50余年、ようやく本来あるべき憲法改正が政治日程に乗る、これが日本国民の多数派が選択した漸進的社会変革の方法だった。
COOKPAD ユーザの大多数は、現状を問題視する人々の熱い思いを共有していないだろう。夏頃にライブドアブログで騒がしい自主退会者が大勢出て、「ライブドアも終ったな」といった意見をよく見かけたが、実際には相変わらず最大手である。100人、1000人が他サービスへ移れば、なるほど大変なことなのだが、分母が50万人超となれば、じつは自然な増減の中で吸収されてしまう数字でしかない。
無論、声の大きな人々は、最終的に大きな力を持つようになることがある。だから広告を出している企業も、事態を注視せざるを得ない。とはいえ、広告出稿企業に「こんな問題のあるサイトに広告料を払うのはいかがなものか」というメッセージを伝える活動は、やり過ぎだと思う。
また、一度登録したレシピは登録者の許可なくCOOKPAD側が利用できるという規約がある為、強制退会処分後に無断使用されるのを防ぐ意味もあり、レシピを滅茶苦茶に改竄する事で抗議の意思を示しているメンバーもいます。現状のままでは何も知らない利用者がそのレシピで料理を作ってしまう恐れがありますが、誰にもそのメンバーを責める事はできません。彼女達を納得させ、不安を取り除くことができるのは、他でもない運営側だけなのですから。
まるでテロリストの論理だ。やはりさすがにこうまで断言されると、過激だと思う人が過半ではなかろうか。そして、締めの言葉は以下の通り。
そしてそんな中、何も知らずに入会してくる人も、存在しています。
私はとっくに退会済みの身であり被害者ではありませんが、初めからこの問題を見てきました。そして、決して見過ごしてはならない問題だと確信しています。これは、料理が好きだとかそんなこととは関係なく、ネット社会に生きる皆さんに知って頂かなければならないと思います。現代の日本で、現実に、このような恐怖政治を行っているサイトが企業によって運営されていることを。メンバーの提供するレシピによって利益を得ているのにも関わらず、そのメンバーをここまで蔑に扱うサイトが存在することを。
そしてこの問題を放置することで、恐らく次なる被害者を生むのだろうことは、想像に難くありません。
著者が書く「事実」をそのまま認めたとしても、COOKPAD に入会していいだろうと私は思う。批判されていることについて、見過ごしてはならない問題
との意見には疑問符をつけたい。mixi の事件の際にも思ったことだが、学校にせよ会社にせよ、「正しい」主張がコミュニティに資するとは限らない。無論、何をコミュニティの利益と考えるか、が問題なのだけれども、例えば高校生がクラスメートの喫煙を発見したとして、それを黙認することの是非、といった事例を考えてみるのもよいかもしれない。
COOKPAD という私企業のサービスにおいて、当事者間で解決を見た問題をネタに延々と批判記事を書き続けるユーザを退会処分とすることは、絶対に認められないというものでもない。まるで独裁国家の様相を呈した完全な言論統制、弾圧が始まったのです。
というが、批判する場は他にいくらでもある。朝日新聞の批判を朝日の紙面でやりたい人は大勢いるだろうが、それが認められなくても言論弾圧ではない。「正しい」主張は、無条件で最高の発表場所が与えられるべきだと考えるのはナイーブだろう。
批判者の登録抹消は由々しき事態だといってはみても、3万人以上の登録者がいて、大騒ぎしているのは1000人に満たず、まとめサイトが作られた時点の強制退会者は数人だった。200万人に1人の特異な存在だった void さんと同様、登録を抹消された人々もまた、「ふつう」じゃなかったように見える。(注:void さんと異なり COOKPAD 強制退会者とその支援者は抗議活動で仲間を増やし、新たな強制退会者を生んでいるようだ)
冒頭に述べた通り、コミュニティを破壊する活動には感心しない。3万ユーザの大半は問題意識を共有していないのだろうが、それで何か不幸になっているのか。楽しくレシピを投稿して喜んでいる人が多いはずだ。仮にまとめサイトの活動が奏功して COOKPAD が崩壊して、誰が幸せになるのか。トップページの最上段にでかでかと反省の辞を掲載させて、どんな利益があるのか。平和な社会と人々の幸福を破壊してまで、自らの信じる正義の執行を優先するなら、全て政府が邪悪なのがいけないと嘯くテロリストと何ら変わりがない。
昔のたろたま騒動で私が一番ガックリきたのは、最終的に私のまとめサイトの閲覧者数はたろたまの読者数に遠く及ばなかったにもかかわらず、その少数派の攻撃がたろたまの更新を停滞せしめ、過去ログを消すこととなり、多数の人々の幸福を減じたことであった。私が何も書かなくたって騒動は起きていたのだし、私一人で何か責任を負おうと考えるのも傲慢なことだが、相応の反省はしていい。必ずしも最大多数の最大幸福とやらを目指すのが一番いいとも思わないが、その視点のない議論は歪ではないか。