趣味Web 小説 2006-02-09

ひとつの物語が幕を閉じる、人生は続く

スローカーブを、もう一球

スローカーブを、もう一球

山際淳司のスポーツ・ノンフィクション処女作、そして「Number」誌創刊号に掲載され新時代を切り開いた傑作「江夏の21球」を含む作品集。Amazon の書評にある通り、登場人物のその後を、私も知りたくなった。

八月のカクテル光線
江夏の21球
たった一人のオリンピック

その後の津田はボート競技の第一線から退き、友人の父親が社長を務める電気通信関連の会社に就職した。仕事は順調で、海外滞在などのキャリアを重ねた。その合間に、ヨットやボートの大会に参加し、優勝したこともあった。現在では50歳過ぎ、4人の子供の父親でもある。

ちなみに日本人選手がボートW杯で初優勝したのは2005年7月10日、男子軽量級シングルスカルの武田大作(ダイキ)の快挙だった。

背番号94

下総農業高校から巨人軍入団、3年間のファーム生活を経てバッティングピッチャーに転身した黒田真治は、1985年までその職務を果たした。「背番号94」読了した今、90番台を背負った選手の名前に何がしかの感慨を覚えずにはいられない。

ザ・シティ・ボクサー

1983年12月10日、半ば引退状態だった天才・春日井健は日本IBF主催の復帰戦で世界タイトルに挑戦し、全周都にKO負けを喫する。ともかくも世界タイトル挑戦までは上り詰めた。

ジムナジウムのスーパーマン

山際が描く坂本聖二の全日本スカッシュ選手権大会9連覇達成シーンには不穏な描写がところどころ顔を出しているが、じつはそれが坂本の最後の優勝となった。第10回大会から第23回大会まで、第9回大会決勝で坂本に敗れた潮木仁が14連覇し、黄金時代を築くのだ(全日本スカッシュ選手権大会 歴代入賞者)。しかし坂本は今もスカッシュの神様として精力的に活動している。ちなみに、セイコさんは早世した。(熱海に現われたスーパーマン)。

スローカーブを、もう一球

1981年春の選抜高校野球大会、高崎高校は1回戦で敗北した。以降、甲子園への出場はない。高崎高校は現在も群馬県内有数の進学校であり続けている。

ポール・ヴォルター

高橋卓己は1984年のロサンゼルス五輪に出場し決勝へ進出、12位となった。2003年の世界陸上で沢野大地(ニシ・スポーツ)のコーチを務めた(スポーツナビ | 世界陸上パリ大会2003)。

2004年アテネ五輪で沢野は高橋以来20年ぶりに決勝進出、日本人選手史上最高位の8位に入賞した。沢野は私の高校の後輩。生まれは同じ80年だが、私は早生まれなので……。インターハイで優勝するなど全校集会で表彰される常連、有名人だった。花岡麻帆は先輩の有名人。高校時代に日本一となって、当時付属中学3年だった私も吃驚した記憶がある。室伏広治はさらに年上の有名人。中学1~2年の頃に高2~3年の室伏を見かけたが、天上人だった。

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