サーチエンジンの発達により、近い将来ライターなどという職業は死滅すると言われたことがある。だが筆者は全くそうは思わない。オリジナルを考え出せる人間が一人も居なくなったら、一体誰が誰にリンクするのだ?
逆に、オリジナルの発想ができる人間がどんどん死滅していくことで、筆者の付加価値はどんどんあがるんじゃないか。うひひひ、ネット人よもっとバカになれ、これでオレの老後も安心ですなぁ、などと考えているのである。
甘いですかそうですか。
甘いですよね。だって例えばCS局やCATV局などの番組では、オープニングの映像が素材集そのまんまみたいなのが結構ある。元ネタを知らないから、みんな気がつかないだけだ
そうですが、別に視聴者は素材集からセレクトした画像だって気にしていない。高価で下手なオリジナルより、安価でそこそこのクオリティがある映像なら文句ないのが視聴者というもの。MP3 の音質で満足するのが一般人ですよ、何を期待しているのか知りませんが。
これからの報道は次第に「オリジナルの素材はもっともっと少なくていい」という方向に進むのではないですか。僅かな専門企業が取材をし、アルファブロガーみたいな記者が主要な言説のバリエーションを用意し、その他大勢が劣化コピーを作成する、という流れ。これはラジオとレコードが街の居酒屋から生演奏を駆逐したようなものです。これはこれで悪くないのであって、水平分業の強みで言説のバリエーション自体は現在より豊富になり、マス媒体の多様性が増進していく可能性はありますよ。
あと、オリジナルの発想ができる人間がどんどん死滅していく
というのは単なる幻想でしょう。口コミが目に見えるようになっただけといっていい。つまり、これまでもマス媒体の情報の受け売りをしているだけの人が世の中には圧倒的に多かった。でも彼らの存在や言動は目に見えなかったので、何となく神秘性を帯びていた。実態はこの程度でしたよ、という話。
何というか、現在のテレビや新聞の報道体制はくだらない感じがしますね。何人もの人が、同じコトを取材して、同じ結論にたどり着いて、同じような記事を書いている。事実の取材、言説の組立、これらを分業し、共有できたらいいのにね。事件の被害者が、マスコミ各社から何度も何度も同じ質問をされる馬鹿馬鹿しさ。もうそろそろ、何とかした方がいい。
共同通信社頑張れといいたいわけじゃない。取材メモをそのまま全部販売する、録音テープ、インタビューした映像素材をそのまま出す、そういう取材専門で編集をしない企業がほしいわけだ。で、言論専門企業は言論の種を売る。ようは、新聞の特集記事や雑誌記事の製作体制を分業せよ、ということ。共同通信みたいに、完成した記事を売るのでは全然ダメ。そういうのはもう古い。