私は映画にせよ何にせよ、それほど期待していないからなあ……。何かの役に立つと思って映画を見せたがる大人のことを「やっぱ人間って、歳をとると馬鹿になるのかね?」と思ってたあの頃(いつ?)の気持ちを思い出そう! 「ホテル・ルワンダ」を観賞して感動するのは、最初からその主張に共感するところのある人だけでしょう。だから、嫌韓の人は、嫌韓の心情に影響しない形で都合よく感動する。それだけのことです。
かつて私は仏教系の小学校に通っており、月に1回、宗教講話会と称してお坊さんのお話を伺う機会がありました。前半30分が説法、後半1時間が映画。たいていは面白い映画なのですが、ときにはいかにもそれっぽい内容のものもあります。例えば「ニーチという名の糞尿運びは街の人に軽蔑されていたが、お坊さんが街にやってきたことにより事件が起き、人々が職業に貴賎のないことを実感、ニーチに感謝するようになる」といった物語。この作品から小学生がどんな影響を受けたか? なんと出席番号21番の生徒を「ニーチ」と呼び、「臭い臭い」といってからかうようになったのです。
「お、お前らの脳みそは腐ってるのか~!!」といいたくもなりますが、人間なんて、こんなものですよ。
宗教講話会の映画でとくに印象深かったのが「風のように雲のように」です。「銀河ちゃんかわいそう」とやんちゃ坊主が泣き、早熟気取りのいじめっ子は「セックス、セックス」とか愚痴っていて、この落差がまたひどかった。後年読んだ原作の「後宮小説」が傑作で、私の映画自体の印象はほとんど上書きされてしまいました。ちょっと残念。
映画ひとつ見て価値観が変わったなんてウソに決まっていると思っていい。「感動した」という言葉を否定する必要は全くないのだけれど、「そうかー、わかってくれたかー!」と口には出しても頭の中でまでそう思ってちゃダメだって。ま、ダメってこともないか。ようやく実感としてわかってきたことですが、「馬鹿な大人」になると、主観的に幸せになれるんですよね。何らかの価値観を奉じて、信じて、感動して、裏切られて、恨んで、愚痴って、憎んで、抑圧する。ちょう楽しい。
ここで紹介されている「お釈迦さまとニーチおじさん」が文中に登場したニーチをめぐる物語ですね。私の記憶はディテールが実際と異なっていましたが、大筋ではズレていないので、本文は修正していません。