趣味Web 小説 2006-02-27

自由「共感獲得」競争の時代

諦観をベースにささやかな希望を抱く(2006-02-27)の続き。今回も加野瀬さんのご意見への回答という形式で(以下略)。

そもそもブログなどで人に言葉を伝えようとするのは、他人に影響を与えようとしている行為だ。そういう行為をしている人が、他人に与える影響なんて微々たるものだと最初から卑下していたら、閲覧者はそんな人の言う言葉に影響されるのはイヤだなあと思ってしまうのでは。岡田斗司夫的な「洗脳力」を自ら下げてしまう。

私の発想は、異なります。そもそも私の主張に共感する人は、ある程度、共感する素地のある人に限られます。Amazon のレビュー活動は、単に情報不足のために本来選ぶべき本を選べない人がたくさんいたので成功したのです。価値観は最初から共有されていた。「私のレビューの洗脳力が高かったので成功した」のではありません。

岡田斗司夫さんの発見した自由洗脳競争が資本主義とどう異なるのか? という問いは同書の解説でも提出されています。私はそのシニカルな解説に共感するところが大きく、言葉通りの「洗脳」はたいへん困難だと考えています。それは岡田さん自身がよく認識されているはずで、その後の著作はいずれも「洗脳」を意図しない記述で統一されています。具体的には、「じつはあなたもこう思っていたでしょ? それ、正解なんです。常識の方が間違っているんですよ」全てこのパターン。

つまり、表現活動によって自分の価値観を相手に注入することは(基本的に)しないのです。もともと相手が持っていた、しかし常識に縛られて抑圧されていた価値観を呼び覚まし、力強く肯定する……それが岡田斗司夫さんの著作に共通する形です。だから岡田さんの著書には説教臭いところが少ない。したがって、「いいえ、私はそんな風に考えたことはありませんし、考えられません」と返答する人に、岡田さんの著作は無力ですし、それはわかって書いているものと理解しています。

岡田さんが「洗脳」と書いたのは、じつは引っ掛けだろうと思います。岡田さんの著書が体現しているのは、これからは自由共感獲得競争の時代だ、ということです。「共感」というフレーズは手垢がついているので、パンチ力のある言葉を持ってきた、その結果が「洗脳」だった。ともかく実態は「共感」がキーなので、自由経済における情報の商品戦略として統一的に説明できてしまう。「洗脳」が困難である以上、多くの共感を発掘できる未開拓領域を発見する能力が重要。すなわち「市場のニーズを掘り起こせ!」という聞き飽きた話に通じている。

加野瀬さんへの回答をまとめますと、私の価値観に「洗脳」されて主張を転換する人はほとんどいない。もともと私と価値観の一部を共有していた人だけが、私の文章を契機に「あ、なるほどね」と思ってくれる。私は、読者の膨大な無意識の中に眠っている鉱脈を、当て推量でザクザク掘っているに過ぎません。「洗脳」ならともかく、「共感」を得るのに迫力は要らない。「私のいうことなんて、誰もわかってくれない」とまでいっても、共感は得られるものだと思っています。

無論、その声を聴く人々の中に、いくらかでも価値観を共有している人がいれば、の話ですけど。

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