この対談、全10回になるそうです。さすがほぼ日というか、糸井重里クオリティというか。余談を読ませる対談だから、編集でバサバサ落とすようなことはしない。
- 岡田
- そんなに「がんばれ」だらけだったら
世の中、しょうがないじゃないかと
思っていました。
これまで出したぼくの本は、
応援歌ではなくて、
「ほんとうは世の中こうなってるんだ」
「思い知れ!」
という内容ばかりだったんですよ。- 糸井
- ええ、そうですね。
「俺は俺だ」とブイブイ書いているところに
気持ちよさがありましたよ。- 岡田
- でも、それも、なんだかちがうのかな、
と思いはじめたんです。
みんなが「思い知った」ところで、
この世の中がどうなるもんでもない。
みんなが思い知るより大事なことは、
明日元気に会社や学校に行けることのほうだから。
明日元気になるためなら、
「思い知れ」より「がんばれ」のほうが
100倍、役に立ちます。
「思い知れ」は、書いてる側が気持ちいい
カラオケみたいなもんなんだけれども、
「がんばれ」は読んでる側が気持ちいい。
そんなふうに考えて、
売れるというのはこういうことだ、と
思ったんですが、
でも、ちがうのか‥‥なぁ、なんて(笑)。- 糸井
- ぼくも、そういうこと、よくやっていましたよ。
「ネクタイを締めることで
相手が、ぼくの話を聞いてくれるんだったら
ネクタイを締めればいいじゃないか、俺よ!」
と、慣れないネクタイを締めて
出かけたとする。
でも、そこで譲り渡したぶんだけ、
「自分」が出なくなるんですよね。- 岡田
- うんうんうんうん。
いきなり本の反省会(笑)。
何だかホッとした。あ、注意して読んでくださいね。岡田斗司夫さんは、いったんはポジティブ路線へ舵を切ったのだけれども、結局は従来のスタンスに戻ってきた。それで、旧来からの読者である私が安心した、という展開です。
でも、「プチクリ」だっていつもの岡田節で書かれているようにも読めて、つまり「ほんとうは世の中、プチクリでいいんだ!」という。内容のポジティブさという点においても、旧来の作品と変わらない。岡田さんは基本的に、未来を陰惨なものとは捉えてこなかった。むしろ現実をつらく苦しいものと捉えている人々に対して、「現実と脳内世界とのズレが苦しさの原因なので、現実にあわせて価値観を選択すればいい。本音を大切にしていいんだよ」と説明してきた、と私は解釈しています。
「プチクリ」も同じ流れの中に位置づけることができる。「あなたも、じつは既にプチ・クリエイターなんですよ。それでいいんですよ」と、これまで通りに明るい世界を描いて見せたといえるのではないかな。
3月になってもまだ、これほど精力的に活動が続いていたとは。岡田斗司夫のプチクリ日記は、さすがにもう飽きているようですが。モノ・マガジンに以前、連載されていた日記も、〆切間際にまとめ書きされていたそうだし……。