かつて、漢文の「故事成語」って不思議なものだな、と思っていました。なぜ庶民の日常生活が、現代日本の常識となるまで有名な言葉となったのか。
じつは、わかってしまえば簡単なことでした。
「三羽邦美の[漢文]に強くなる実況放送」の中に、「矛盾」に関して、こんな説明があります。
この話は『韓非子』にあるんです。実は韓非子は、このたとえ話で儒家を非難しているんです。儒家の連中は自分たちの「徳治主義」政治の理想像として何かというと太古の「堯」とか「舜」といった実在もしない人物を「聖天使」といって持ち出すわけです。「堯」の次の天子が「舜」なんですが、堯が非のうちどころのない聖天子だったのなら、舜が徳を施して人民を善に導く余地はなかったはずだろうし、舜がその人徳で人々の争いをしずめたりしたというなら、堯の時代には天下はよく治まっていなかったことになる。堯も舜も聖天子だといういい方には「矛盾」がある、というわけです。
本当は、そこまで読まれないと韓非子としては不本意でしょうが、教科書にはさっきの問題文のところしかのってませんね。ただの笑い話じゃないんですよ。
さらに別の箇所からも引きます。こちらは「株を守る」の故事について。
これは、「株を守る」という有名な故事に出てくる分で、原文はもちろん部分否定のほうです。「矛盾」と同じ『韓非子』が出典で、北原白秋の「まちぼうけ」って動揺のもとになってるお話です。「待ちぼうけ」なんて歌、いまどき知らないか。「まちぼうけ~、まちぼうけ~、ある日せっせと野良かせぎ~」ってんですけどね(笑い)。畑たがやしてる人がいたんです。畑に木の切り株があった。そこへ兎が走ってきて、その切り株に頭ぶつけて失神した。そんなまぬけな兎がいますかね(笑い)。そこでそのお百姓さんは、こりゃいいや、こんなんで兎がつかまえられるんなら畑仕事なんかバカバカしくって、と農具を放り出して、それからはずっと毎日草むらにかくれて木の切り株をみつめてたんですね。しかし兎は二度と……という話なんです。
「矛盾」の場合と同じように、韓非子はこの話でも儒家の人々のいう堯舜の時代錯誤を笑ってるわけです。この戦国の世に「徳治政治」なんて、何を寝言いってるんだ、とね。「株を守る」は旧習にとらわれて融通がきかないことをいいます。
なるほど、故事というのは、実際にそういうことがあったのかどうかはわからない。著名な文章の中で例え話として使われたので、現代に伝わっているのですね。
私は理系に進みましたが、じつのところ数学や理科はあまり好みでなく、古文・漢文の方が好きでした。まあ進学後には勉強をやめてしまうのですけれども、高校時代はけっこうはまっていましたね。理数の勉強に飽きたら古文・漢文の教科書を音読したりして。三羽さんの本から、三度、引用します。
僕は山口県の小野田高校って高校出たんですけど、クラブ活動で新聞やっててね、ちょうど、創立八十周年だってことで、学校の歴史の特集やったんです。で、その小野田高校の前身が「如不及堂」って変な名前の私塾だったんですね。そんときはどうしてそんな名前なのかわからなかったんですけど、大学に入って『論語』を全部読んだときに「泰伯篇」に「学は及ばざるがごとくするも、猶ほこれを失はんことを恐る」ってあったんです。ゾクゾクッとしたですよ。立派な名前だったんだなーって感動しました。学問というものは追いかけても追いかけても追いつけないかのように勉めても、それでもなおとり逃がしはしないかと恐れる、そういう気持ちでやるものだ。いいこといってるでしょ。『論語』ってのは本当に立派な本ですよね。