趣味Web 小説 2006-03-13

自由と民主主義を掲げた人々に惨殺された独裁者

NHK 総合で1989年12月のチャウシェスク政権崩壊の様子をまとめた NHK スペシャルの再放送(1990年1月に本放送)があった。

1989年12月23日にはチャウシェスク夫妻は救国戦線により逮捕される。25日、救国戦線はチャウシェスク夫妻を、60,000人の大量虐殺と10億ドルの不正蓄財などの罪で起訴、形だけの軍事裁判で即刻銃殺刑の判決を下し、その場で殺害された。この様子はビデオで撮影され、フランスを含む西側諸国でただちに放送された。数日後ルーマニア国内でも処刑の様子が公表された。この放送は、チャウシェスクが対外的には清貧な大統領を装う一方で、残忍な独裁者であったという印象を強くした。即刻銃殺刑に処したこと、西側諸国に公開したことを見ても分かるとおり、如何に大統領が国民を抑えつけ恐れられていたかがよく分かる。

しかし、大量虐殺の形跡や、不正蓄財の証拠は全く見つからなかった。1990年、自由選挙による国会が開かれると、野党側は与党救国戦線を激しく追及した。これはのちに救国戦線が2党に分裂する遠因にもなった。現在、大量虐殺と不正蓄財はなかったものと考えられている。

案の定、この問題は語られなかった。最近の私の興味から、被害者意識に駆られた人々の暴走の方に関心を持って見た。テラスから群集に向けて最後に大統領が語った言葉、絶望の表情。静かな政権交代を目指す穏健な改革派の呼びかけが大群衆の叫びにかき消される様子。テロリストとしてチャウシェスク派と目される人物が大した証拠もなく続々と逮捕され、市民が大歓迎する。

治安部隊の発砲は多くの市民の死傷を招いた。その責任が問われることは当然だが、治安維持もまた重要な責務だ。無罪になったかどうかはともかく、せめてまともな裁判を受ける権利くらいはあったはずだろう。

1999年12月、革命10周年に当たって行なわれた世論調査によると、6割を超えるルーマニア国民が「チャウシェスク政権下の方が現在よりも生活が楽だった」と答え、同国政府を驚かせた。市場経済の停滞と失業者の増加により生活が悪化し、国民の不満が高まる中で、各地の工場や炭坑ではストライキが頻発。その参加者の中には、チャウシェスクの肖像写真とともに、「チャウシェスク、私たちはあなたが恋しい」といったプラカードを掲げる人も少なくないという。惨殺されるほど嫌われ恐れられた独裁者が、少なくとも最低限度の生活を保障していたことで、死後改めて評価されるという皮肉な展開となった。

旧ユーゴスラビア紛争で大量虐殺や人道に対する罪に問われ、オランダ・ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷で公判中だった元ユーゴ大統領のミロシェビッチ被告が11日、拘置所の独房で死去した。64歳だった。戦犯法廷の報道官が確認した。弁護人によると、死因は心不全とみられる。

国際社会には独裁者として糾弾されたが、実情はポピュリストに過ぎなかったといわれる大統領の死が報じられた。おそらく判決には反映されなかっただろうが、ユーゴスラビアの言い分を多くの記録に残してから亡くなったのは、せめてもの慰めか。イラクのフセイン元大統領も、いい足りないことはまだまだあろう。判決は最初からわかっているようなものだが、彼がその死の前に存分に語る機会を与えられることを望みたい。

追記

ホロコースト修正主義の項を読むと、頭がクラクラしてきた……。ダメだ、私には判断しかねる。ゲットー建設と強制収容所への移送は間違いない。問題はその先にあったとされる毒ガスなどによる600万人の大虐殺。大量の被害と加害の証言があって、それらしい写真とかもある。にもかかわらず、決定的な物証を欠いている。戦時中から隠ぺい工作が続いていたというのが定説なのだという。

とにかく大勢が亡くなったことは間違いない。しかしそれが強制労働と劣悪な環境による衰弱死や病死なのか、それともガス室なのかというのは大きな違いではあって、事件の特殊性に強く関わる部分だ。ドイツ・オーストリア・フランスでは「ナチスの犯罪」を「否定もしくは矮小化」した者に対して刑事罰が適用される法律が制定されているそうだが、「矮小化」になってしまうのは間違いない。

この問題があるから、チャウシェスクによる「虐殺」も証拠の有無が今も十分には問われない、証拠不十分で無罪とはならない、倒された独裁者に人権はない、そういうことになっているのだと思う。

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