趣味Web 小説 2006-06-07

割り箸価格の「高騰」と日本の林業

中国産割り箸の価格が上昇し、安売り競争をやっているお店がコストアップに苦しんでいるのだそうな。しかし国産の木材で割り箸を作ったら1膳5円となり、高価すぎて誰も買わなかったという。日本の林業は立ち行かなくなっており、廃林が増加し続けているのだそうな。

NHK は危機感を煽っているのだが、ようは輸入割り箸の価格がもっと高騰して1本5円より高くなれば、日本の林業も復活できるということ。今はまだ価格が上昇しているとはいえ輸入割り箸に価格優位性があり、国内で林業をやれる状況にないだけの話。林業には時間がかかるとはいうものの、間伐材収入も考えれば、木材の売価さえ十分なものとなれば5年目からは一応、軌道に乗る。50年スケールで考えれば大増産だって不可能ではない。今は将来の林業復活に備えて冬眠準備の時期。

林業の知見もずいぶん書籍化・マニュアル化が進んでいる。自然相手のことだけに個別対応の部分は残るのだけれども、基本的には技術革新による作業の効率化が圧倒的に効くので、全国津々浦々の山について一般性のないノウハウを全て記録できなくとも、それは致命的な問題とはならない。

林業が衰退して竹林が増えている昨今だが、日本の気候は温暖湿潤なので、放っておいても砂漠にはならない。廃林は人間にとって利用価値が低いのだが、もともと江戸期以前にはその廃林が国土を覆っていた。人口がどんどん増えていく中で次第に人手の入った山が増加した。それが元に戻っていくのを環境破壊と呼ぶのがふさわしいかというと……?

無論、外来種の竹が広がっていくことで生態系は変化するが、私の価値観において、それは許容範囲。山間部に杉林や檜林がこれほど増え、沿岸部に松林が帯状にダーッと並ぶのだって人間の都合でやったことであり、平野を田んぼが埋め尽くすのも同様に奇妙な光景だ。いわゆる雑木林だって人が作ったもの。散々好き勝手やってきた人間が、竹林だけをことさら問題視するのはおかしい。

ところで、割り箸価格が5円よりも上がって10円20円となっていくなら、再利用可能な箸が復権する。洗うのが安いか、使い捨てるのが安いか。単にそれだけのことなのに、輸入割り箸の多少の価格上昇で箸文化が消滅するとか何とか、「不安になりたい」症候群の典型ではないか。

補記

「もともと江戸期以前にはその廃林が国土を覆っていた」これは幻想。幕末の写真を見ると松の木が数本生えているだけの山の方が普通の景色。

それは人里のごく近くの山。その外側には木々の生い茂る山々が広がっていた。まあ、人が見るから「景色」なんだろうから、普通の景色はそうだったといってもいいのかも知れないけれど。

杉とか松とか間伐しないでほっとくと土砂崩れで偉い目にあうんですが。林業する気がないなら広葉樹とかに植え替えるべき。

林業の一環としてこれをやるのは無理。なので治水事業として予算をつけることなら可能かもしれない。けれども実際のところ、大々的にやるのは難しそう。土砂崩れが現にたくさん起きている地域に限定して事業を展開するしかないのではないか。

日本の割り箸製造は生産量に限界があるというのは番組中でも指摘されていた。1本5円というのは現状の生産量での話であって、大幅に増えると原材料費が急激に上がるはず。間伐材が安いのは主力商品の材木生産のための副生品だからで、主力の材木が売れない状況で間伐材だけを安く採る事は出来ない。割り箸用を主力にすると、そこに大きな経費が乗るので価格は材木並みになるだろう。日本の林業が本格的に復活するには、割り箸の価格でなく、材木の価格が上がって国産材木の需要が増える必要がある。5年10年でどうにかなる話ではない。割り箸で日本の林業が復活する事はないし、国産割り箸は量的に輸入品の代替には成り得ない。

そもそも割り箸なんて木材需要のごく一部に過ぎないはず。1000膳入りの箱をいくつも運んだことがあるけれど、体積は意想外に小さかった。短期的には工場の生産能力の問題で割り箸価格の高騰が起きるにせよ、長期的に効くのは原材料の価格。輸入割り箸の価格が恒常的に高騰していくとすれば、その背景には木材需要そのものの高まりがある。だから、輸入割り箸が5円になったとき、日本の林業は復活に向けて動き出す。

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