趣味Web 小説 2006-06-07

農村は今や「どこか遠い世界」なのか?

農村は今や「どこか遠い世界」なのか?

極端な事例を引っ張ってくるとこうなる、という話。祖父母と伯父夫婦が専業農家だからいわせてもらうけれど、上記リンク先に書かれているような状況が「農家のふつうの状況」だと思ってほしくない。いったいどこのでこんなことをやっているのか? と私は疑問に感じたな。

農家が非常に少なくなって、農家の人が「ふつうの日本人」にとって「どこかの誰かさん」になっている中でこういったものが流行ると、どんどん誤解が広まってしまう。こうして根拠のない農村差別が始まるのか、と暗澹たる思いだ。

ここでいう「農家」とは決して単なる農業従事者を指すわけではありません。積極的に新しい技術や手法を取り入れ、家業である農業というビジネスを成功させようと真摯に頑張ってらっしゃるまともな農業従事者は沢山います。誤解のなきようお願い致します。

この注意書きもミスリードではないか。なぜかというと、このまとめサイトに集められているのは、前近代的な価値観が現代にも生きているというエピソードであって、農家の経済問題については、感覚的な話しか載っていないからだ

そして、真摯に農業ビジネスの成功を目指すことと近代的な価値観を持っているかどうかには、あまり相関がない(と私は感じている)。その日暮らし的な農業をやっている人にも、都会的な考え方をする人が少なくない。だって、みんな同じテレビ番組を見て、同じ新聞を読んでいるんだよ?

戦後、時間が経つにしたがって戦中を描くドラマや映画の描写がどんどん一面的になっていくわけだけれども、農村への誤解もまた同様に進んでいるように思われる。

「男尊女卑体質の農家」批判であって、「農家の男尊女卑体質」を批判してるのとは違うということであれば、最初の注意書きに書くべきはまさにこの点ではないかと思う。

これなどは読者が誤解しない方がおかしいという典型的な記事。こんな非常識な農家もある、と読み替えるべし。いや、実際の農家の知り合いがいる場合でもね、ひとつやふたつは思い当たることがあるのではないか。けれども実態を知っていれば、「農家スゲー」みたいな他人事感覚には陥らないはず。面白おかしく誇張されている程度も読み取れる。まるっきりの嘘だとはいわないし、ホントにひどい人もいることは事実。だからといって……ということ。

1906年1月に発表された「野菊の墓」は明治時代の農村を舞台とした物語。薄い本だし、案外すいすい読めると思う。この作品が当時の人々に好評をもって迎えられた事実には、「あれっ?」と感じるところのある人が多いのではないか。そうでもないのかなあ。

野菊の墓ほか

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