趣味Web 小説 2006-06-08

足るを知る人の子育て

自分に甘くしてほしいなら、他人にも甘くしなければならない。日本人は日本人の価値観でバランスする点を探せばいい、と思った。で、日本の社会が窮屈なら、海外に行くのも一手ではあるよね。簡単じゃないけど。

多分、大半の日本人は、他人に厳しい要求を突きつけながら生きたいのだろうと思う。電車が正確に運行される社会を希求してきたような心性が、コロッと変化することはなさそう。もし仮にこのことが少子化に影響していることが明らかになったとしても、他人に甘くするなんて日本人には我慢ならないはず。イライラが募って暴発する人が増えるかもね。

最近はそうでもないようだけど、昔、東南アジアに進出した日本企業の駐在員はみんな額に青筋を立てていたという話をよく聞く。で、脳溢血で倒れる。

個人的な思い出話をすると、私の母親は子育てが楽しかったという。子どもが一人で遊びに行くことを当然だと思っていて、活発な弟なんて2歳の頃から一人で公園まで遊びに行っていた。心配した人が家まで届けてくれたことが何度もある(注:服に住所氏名電話番号が書かれていた)。交通事故に遭ったらどうするのか、と心配する人が多いのだろうけれど、母は「それはそのときよ」という。完璧を目指さず、適度に無責任になれば、子育ては気負わず楽しめるものらしい。

あまり他人の目を気にしていなかった母は、電車内で私たちが騒いだときも、常に自分の価値観から躾(しつけ)を行った。「周囲の人が迷惑するから」ではなくて、「電車の中では静かにするのが正しいと私は思うから」おとなしくしなさい、というわけ。なので当然、私たちの家族しか乗車していないときだって、車内を走り回ることはきつく禁じられた。大浴場で泳いではいけない、というのも同じ。

ただし、母は家事全般が得意で好きで、子どものお勉強の面倒も自分で見ることができた。父は無能の人で母に頭が上がらなかった。だからよかったのかもしれない。いろいろ苦手な人だったら、周囲の目があろうとなかろうとつらかったかもね。塾でも何だか親業に自信をなくして肩身狭そうにしてるお父さんお母さん、よく見かけた。世間体云々じゃなくて、自分の中で、理想と現実の差異に納得できてない風なのだった。

死んだようにおとなしい子どもだった私は品行方正でよく先生に誉められたし、弟は元気で文武両道に秀でてた。屈託なく我が子を自慢する母の姿を私も何度か目撃している。空元気ではなかなか気持ちが続かない。我ながらよくやってきた、と素直に自己評価できる母は、なるほど幸せな人生を送ってきたのだと私は思う。

やっぱり第一には性格の問題なのかな、幸せになれるかどうかって。他人がどうこうじゃなくて、日本の社会に生まれて、空気のようにまとっている文化というかね。私の母だって、私に元気がないことや弟のやんちゃが過ぎることをくよくよ悩んでもおかしくはなかったと思う。他のお母さんたちと同じように、うちの子はここがダメで困ってる、と愚痴っていたかもしれない。まあ「愚痴る幸せ」ってのもあるけれど。

Information

注意書き