去る4月21日阿弥陀堂にて指定暴力団組長の回向法要を執り行い、延暦寺の信用を著しく損なう事態を招きましたことは、延暦寺当局の不明の結果であり、延暦寺に心を寄せていただくすべての方々に対して誠に申し訳なく心よりお詫びを申し上げます。また、暴力団等の反社会的団体の排除が求められている中、甚だ軽率な行為であり、警察や仏教会その他関係者各位に多大なご迷惑をおかけしたことを併せて深くお詫び申し上げます。
つまり、御仏の前でも、悪人は救われないよと。慈悲の心も、反社会的団体は排除するよと。念仏唱えたところで、悪事を働く奴は、往生できません。言い直すと、地獄へ落ちろ。
個人的には、天台宗の総本山が暴力団組長の回向法要を執り行ったくらいで「社会の信用」を失ってしまう、あるいは、そのような「社会の信用」なしに延暦寺が存続し得ないということに悲しみを覚える。日本の社会の「同調圧力」を批判する人もたいてい、こうした「正しい同調圧力」には諸手を挙げて賛成なんでしょ。
「赦しの秘跡」も日本では認められないのかな。犯人が懺悔に訪れたことが何らかの理由で露見したとき、「犯人を庇うなんて許せない」とか責められそう。「一般社会の枠組みの外側に基盤を置く存在」の必要性を感じない人が多いのだろうな……。
ところで、日本で普及している仏教では、100回忌まで法要を行うと地獄にいる祖先も天国へ救い上げられるよ、という教えがあるそうな。お寺で買ってきた「天国と地獄」という絵本も、八大地獄で責め苦を味わい続けた人が子孫の積んだ100年の功徳によって天国へ上げられる物語だった。
うまい商売だな、と思ったけれど、よく考えてみると、たいていの人は永遠に地獄にいるということ。何せ絵本の中では、「おぬし、嘘をついたな」という理由で地獄行きになってしまうのだ。子孫が功徳を積んでくれなくては誰も助かりそうにない。
暴力団の組長が市民から巻き上げたカネで天国へ行こうとするなど許せない、という考え方はわからないではないが、100回忌まで続くものだろうか。カネだけで100年は続かないと思う。もし続くなら、本当に地獄の沙汰も金次第ということになるよね。
なるほど! そういえば真言宗も朝敵・平将門の乱を平定するため関東に寛朝さんを遣わすなど、勧善懲悪が基本路線なのかもしれない。ただ、私は真言宗系の仏教校で小中高と学んだけれども、あくまでも「懲悪とは慈悲の心による救いなのである」といった説明だったと記憶しています。
私には法然さんの素朴な解釈の方がすんなり耳に入るかな。ちなみに法然さん親鸞さんともに、もとは比叡山で学ぶ天台宗の僧でした。日蓮も比叡山へ遊学したことがあるとか。