小説家の坂東眞砂子さんが日本経済新聞紙上で公開した、飼い猫の避妊手術を拒否しつつ飼い猫の生んだ子猫を殺していることを告白したコラムは、ウェブで大きな反響を呼んだ……らしい。子猫を殺すことは、避妊手術をするより重い罪である、と多くの日本人は考えるのだそうだ。
私が坂東さんの作品に初めて触れたのは高校生の頃。伝奇小説の枠内に概ね収まる初期作品が私の読書傾向に見合っていて、「死国」や「狗神」などを楽しく読んだ記憶がある。しかし直木賞受賞後の展開は私にはやや高級すぎたかも。かの傑作「桃色浄土」のバランスがマイベスト。
小学校の教室。天敵のいない水槽でメダカを飼うと、メダカの親は、自分の産んだ卵を自分で食べて適当に間引きする。じつは生まれた稚魚さえ自分で間引きしてしまうことがある。
かわいそうだといって卵を別の水槽に移したはいいが、結局100匹も育てられるわけがなく、とうとう裏山の池に捨てる羽目になった。目の前で死にゆく様を見るのがしのびないからといって、目に見えぬところで死んでもらおうというのだから身勝手な話だ。しかしこうしたことは残酷だからメダカに避妊手術を受けさせよう、なんて話はどこからも出なかった。
断種手術を受けていない猫を放し飼いにすると、子育てが許されない環境であるにもかかわらず、彼らはどんどん子を作る。何度、子と引き離されても、懲りずに産む。そこで多くの飼い主は、何ら罪の意識を感じることなく、頭の悪いペットから生殖の権利を奪う。不幸に生れ落ちる子猫を減らすためなら、猫の権利は制限されていいということだ。しかし子猫が何度殺されても、親猫は断種手術を望んでいないように見えるが……。
日本で中絶される胎児は年々減少しつつあるものの、なお年間約30万人。育てられない子どもを作ってしまう人間は、現代日本にもたくさんいるわけだ。しかし子どもの中絶を招いた親たちが強制的に断種させられてしまうことはない。それは人権侵害で、許されないことなのだそうだ。
中絶と生まれた子を殺すのは別問題、という人は多そうだが、その根拠は微妙だと思う。中絶を正当化するために受胎後数ヶ月までの胎児は人間じゃないと決めただけ、と見えてしまうのは私だけだろうか。
子作りを自制できない親猫たちは、例えば野性に返されたって相変わらず多くの子を産み続ける。当然、多くの子を死なせてしまう。人間が直接に手を下したらダメだが、自然界が生命を淘汰するならOKなのか。しかしメダカなら人が手を下しても気にしないのだ。なんか、妙じゃないか。
いろいろな意見を読みながら連想した話をふたつ。
大輪の菊の花を育てるために、多くの蕾がまだ青いうちに切り落とされる。墓参りへいくと、切花がたくさん飾られている。人の死を悼んで子を宿した植物を殺す。花壇の美しさに感動しながら、花びらが落ち、種が育ち始めると、容赦なく植え替えてしまう。何のために花は咲いたのか。感動のお礼に命を奪う私たち。
世界で僅かな人々が感染した鳥インフルエンザへの恐怖から数百万羽のニワトリが焼却処分された。1羽ずつ検診し治療するお金と手間を惜しんで命を粗末にする。そのくせ人命尊重の旗印を掲げているこの尊大さ。天然痘ウイルスを絶滅させてバンザイといっているのが人類である。
坂東さんの本、リストアップしてみると、半分くらい読了しているらしい。
ちなみに著書が多い作家の中で私の読了率が高いのは、まず5年前までは全作品読了となっていた大沢在昌と原田宗典、そして全集まで手を出して7割超を読んだ筒井康隆。作品はそれほど多くないけれど真保裕一は3年前までは全作品読了。岡田斗司夫の本も絶版で入手困難な1冊以外は完読。