私は記憶をなくしやすいので、備忘録を書きたいと、ずっと思ってきました。でも自分一人しか読者がいない状態ではどうしても書けず、サイトを作ってみて初めて長年の希望が達成でき感激したという次第。
ただ初期には慣れない文章書きにずいぶん苦労して、とにかく「怒り」抜きには何も書けないくらいでした。「面倒くさい」の壁はとにかく高かった、ということです。詳細は怒りをぶつける(2003-01-30)を参照してください。
自分さえ理解できればいいという感覚。妙に説明的だったり、抽象的だったり、気分次第。後で記事タイトルを変えることもしょっちゅうありますね。読者の都合とか検索エンジンなどは思考から原則排除。
ある程度、頭の中に考えがまとまってこないと、書きたい気持ちが面倒くさいに勝てない。書きはじめた段階では曖昧な部分もあるけど、好き勝手に筆を走らせている間に具体的になってきます。
まず書きたいことをみんな書く。一見、関係なさそうな話も、一緒に思いついたなら同じところに書きとめておく。これを切った貼ったしつつ、文章の順番も適当に入れ替えたりなどして、何となくつながりのあるようなないような、そんな文章にまとめあげていく。
どう考えてもうまくつなげるのが難しそうな文章の塊が複数できたときは、「1.」「2.」などと小見出しを振って、ひとつの記事にしてしまう。連想ゲームのように湧き出てきた言葉は、なるべくひとつの記事にまとめておきたい。他人から見たら関係ない話でも、私の無意識にとっては関係あるに違いないから。
公開した記事を全面改稿することもしばしば。その結果、論旨が180度変わってしまうケースもなくはない。あと文体の統一はしてません。自分にとって語調がいいように思えれば何でもあり。
まずローカルに構築しているローテクなウェブサイトの記事として文章を書き、マークアップを施して、MT のオンライン更新フォームに適宜コピーアンドペーストしている。せっかく下書きしたのに、MT 経由での公開を控えた記事もけっこうある。ただしそれらの記事も、ローカルのサイトを年に数回、バックアップ目的でウェブサーバにコピーしているので、そのURIを知っている読者は時間が経ってから読むことができる。
記事を修正するときも手順は同じ。まずローカルで修正、記事データをコピペして再構築。ようするに MT のような CMS を信用していないので、データをあちこちに保持しておこうという発想。
今年に入ってから顕著なのだけれども、下書きだけで満足して、なかなかウェブに記事を公開しないことが増えてきました。どんどん記事がたまってきて、半月に1回くらい、まとめて更新するわけです。記事の日付は、記事を書いた日付なので、RSS リーダーの利用者などは「あれれ?」と思うのかも。
相手が無断リンクを禁止していても、基本的に気にしません。というか、そういったことを調べる習慣がない。あと、文中リンクは何より自分自身が後で読み返した際に参考になるように、という意図でやってる。一部の読者に不満があっても、基本的には知ったことじゃない。
同じことを何度も書くのは無駄だと思う。でも昔の記事って、微妙に今の感覚とずれていることが少なくないんですよね。だから同じようなことを繰り返し書くハメになることがしばしば。
過去と考えの変わったことについて、いちいち全ての過去ログを修正することはない。その一方で、文章の手直しなどは、じつはちょくちょくやっています。しかしリンク切れへの対処はやってません。あと修正日時などは基本的に明記せず、古い記述の保存もしません(理由:面倒くさいから)。
コメントははてなブックマークで受付けています。トラックバックには冷たいです。基本的にアンチコミュニケーション志向なので、はてブの微妙な距離感がちょうどいいですね、私には。
私にとって読者は、備忘録を書き続けるために必要な存在ではあるけれど、最初期から数人の読者がいて、それで十分だった。だから文章力の向上には関心ないな。必要な読者数は、出発点の時点で既に確保できていたんだもの。私はむしろ、向上心とか自分の成長とか、そういった色気を排除することに注力してきました。
趣味は趣味の分を守る方がうまくいく、そういう信念みたいなものがあります。ちょっと注意してほしいのですが、大上段に構えない、小さなレベルでの「もうちょっとこうしたい」みたいな感覚は、決して悪いものじゃないと思っています。