趣味Web 小説 2006-10-08

トラブル解決法:勝つ必要がないなら負けるのが最善手

テレビを全然観ないのにテレビ情報誌を買っていた私にとって、何か大きなものから派生した本筋と無関係のモノの方(だけ)が自分にとっては興味関心の対象である、という状況に深く共感することはあれど、「理解できないなあ」と感じることは滅多にないですね。というわけで、以下つらつらと。

こういった「議論」を収拾するために、いったいどのような手段を講じるべきなのだろうか?(最近はてブ界隈でこういった話題が出てたような気がする。読んでなかったが)厨房時代の私の経験から考えて、議論を仕掛ける側には一つの欲望によて動いている――すなわち「相手を言い負かしたい」。この情熱に正面から向き合うことはあまり賢明ではない(2ちゃんねるで試してみるといい)。いちばん賢明な手段は??????を挑発しないことなのだが、それができるほど賢い人間がブロガーなどやっているのだろうか…… 閑話休題。重要なのは「勝つこと」ではなく、相手の情熱をいかに受け流すか。 (kanose先生のとこに誘導するというのはどうだろうか?)

要求を呑んで記事を削除すればいいでしょう。あるいはコメント欄を閉じるか、コメント禁止にする手もありますが、今回の流れの中では勧めません。

やり取りをざっと読んでみたけれど、記事を削除しない理由がないように思いました。口先だけでどうにかなると思って考えなしにやったこととはいえ、いったん自分の記事をとことん卑下して謝罪もしたからには、「でも記事は削除しません」という議論は旗色が悪い。せめてもう少し、自分の記事の正当性を主張し、存在意義を強調しておけばよかったのでしょうけれども。

逆に謝罪は口先だけのもので、本心は全然反省なんてしてないよ、と開き直れば事態は変わります。ようは、カッコつけながら戦い抜くには状況が不利なので、潔く完敗を認めて無条件降伏で手仕舞いするか、倫理的優位性を捨てて、自己規制を外すか。悪党に変身すれば対話の放棄も「俺は何だってやるぜ」で通用するから、コメント禁止も選択肢として復活します。

無論、倫理的劣位を自ら認めることは、それなりの代償をともないます。だから迷うのでしょうが、「故なく他人を罵倒しました御免なさい」といいつつ、「あなた一人の不愉快のために記事を消したりしないのはブロガーとしての誠意」みたいな主張を押し通そうというのは死に筋でしょう。もう決断すべきです。

ここまできたら変身したって失う物なんてない、と思われるかもしれませんが、私はあくまでも記事の削除の方を勧めますね。シンプルに考えたらいい。相手が「勝ちたい」一心で攻撃してきているなら、自分が「負ければいい」のです。それでトラブルは消えます。意地を張る価値のある状況には見えませんね。

以上、おせっかいな記事でした。id:todesking さんには、正直いってトラブル解決の意欲があまり見られないし、困った困ったといいつつ、本当は楽しいのだろうな、と。音羽さんは本当に怒っているのに、失礼な話だとは思いますが、よくあるシチュエーションです。

本題よりも瑣末なことに関心が向かい、そのことを書きとめて記事にする、ということは私もよくやります。それは別に悪いことではないとも思う。なので音羽さんの不快感は、それはそれとして理解するけれども、通常であれば「わかりました削除します」ということにはならないでしょう。

死ぬ死ぬ詐欺のまとめサイトに怒ること自体、もっと他に優先して起こるべきことがあるのではないか、という感じもする……みたいなブーメラン効果も出てき得るわけで、音羽さんの戦い方も、自らの過剰な言葉のために足元をすくわれた id:todesking さんの失敗を踏襲する危険がありそう。

記事の削除って、大した根拠もなしに「絶対にしちゃいけないこと」と思い込んでいる人が結構いる。そのくせつまらないことでブログごと削除したりするんだよね。私なら、自分にとっては正当な要求だと思えたとしても、現実問題としてトラブル処理にかかるコストをかなり大きくすることを勘定に入れるところ。

まあ、そういう計算を(今回のように琴線に触れた問題に関しては)排除して行動するのが音羽さんの美学というか信念なのでしょう。でも相手を見て要求をもう少し簡単なことにしておけばよかったのに……と、私はどうしても考えてしまう。

事件の顛末。死ぬ死ぬ詐欺啓蒙キャンペーンが、攻撃先にありきの活動であり、ソース主義なんて虚妄に過ぎなかったことが明らかに。(追記 2006-10-31)

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