趣味Web 小説 2006-10-20

例え話の読み解き方・使い方

私の書いた徳保はレイプ魔です(2004-02-03)への批判、なのですが……。

「A社は悪徳商法です」を「Z氏はレイプ魔です」に置き換えて、その言論(中傷)を強制的に排除する妥当性を検討する

さて、このたとえは妥当でしょうか?

この2つに共通なのは、『両方とも、事実でないなら、書かれた方に著しい損害を与える」という事でしょう。だからこそ、確実に事実と認定された事でなければ、排除するのは妥当だって考える事ができそうです。

しかし、この2つには相違点もあります。一方は個人に対する言動(中傷)であり、もう一方は企業活動の言動(中傷)なんですね。企業活動は社会的なものなので、それに対する言動には公益性があります。なので、個人に対する言動とは異なったルールが必要な場合もあるでしょう。

そう考えると、この例はたとえ話として妥当であるか、に疑問があります。つまり相違点である「企業と個人の違い」が、言論に対する排除のルールに無関係ではない(むしろ大きな影響がある)例と言えるでしょう。

例え話とは、ふたつの異なるものの共通点に着目して、ポイントとなる部分のロジックを強調するためのレトリックです。共通点以外は無視していいよ、と。ところが現実には、むしろ本筋のロジックよりも、例示されたものが持っているその他の属性の方に目がいってしまう人が多いらしい。

これを逆手に取れば、自分が何と何を似たものとして考えているか、その世界観を示すことが可能となります。私にとって問題の例え話は、「中傷はいけない」という文脈において個人も企業も同じだ、そういう主張なのです。相違点は瑣末であり、無視してよい、と。

私の主張に賛成でも反対でもかまいませんが、私はめたかさんの主張をよく理解できたのに、めたかさんは私の主張を理解せず、門前払い。これは悲しい。

「つづき」の方も一緒。自分が賛同できない前提に基づく例え話はアウト判定。自説の主張は結構ですが、賛成・反対の前に、一度は意見を受け止めてほしいと思う。

たいていの議論では、お互いの考え方を理解し合えば十分なのですが、価値観が相対化された世界においても、何らかの結論が必要とされる場合があります。価値観闘争は政治的にしか決着せず、端的には「場」を支配する多数派を味方につけた方が勝つ。

ギャラリーが見えていれば話は簡単ですが、そうでない場合、双方の心の中にいるギャラリーの共感獲得合戦になります。議論の相手は説得できなくても、相手が「たしかにこの場で正しいとされるのはキミの考えだろうね」と納得してくれたら、それで勝ちなんですね。なお「場」は議論の条件次第で境界線が変動しますから、注意が必要です。

特異な私見を常識と「勘違い」するのは困りものですが、自説の方がこの「場」における常識に親和的だ、と主張する戦術まで否定すると、議論から結論を導く手筋が消えてしまいます。

基本的に例え話は、啓蒙・説明には有効だけど、説得には使えないのでは。

意見の異なる相手に「共通点に注目し、その他の情報を捨象してください」というのは難しい。見解の相違は世界観の違いに基づいているのであって、私が無視できると考える相違点を相手は重視し、こちらが大切だと思う共通点を相手は軽視しているからこそ、議論になっているのです(多くの場合は)。

自分の世界観を説明し、賛同ではなく理解を求めるケースでは、例え話は十分に機能すると思う。応用編として、ウェブでの公開議論は半ば閲覧者の共感獲得合戦なので、上手な例え話で潜在的な賛同者層を掘り起こす戦術は使えるのではないですかね。逆に潜在的な反対者層も掘り起こされてしまうことに要注意ですが。

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