日本がどれだけ経済成長を遂げても所得格差を是正しても、日本国民すべてを日本の社会の中で、一般的な意味における「中流の上」にすることはできない。「中流の上」というのは、日常的な言語感覚からすれば、国民の間に生活水準の差があることを前提として、その真ん中からちょっと上くらいの生活水準を指す相対的な指標だからだ。「クラス全員を100点に」は可能だが「クラス全員がクラス平均を超えるように」は不可能なのと同じ。
(中略)
文句をいいっぱなしでもどうかと思ったので、自分でも考えてみることにした。日本人すべてが「中流の上」になる方法について、だ。
いくつもありうるだろうが、とりあえず3分半ほど考えたら、10ぐらい思いついた。思いついた順に。
- 「中流の上」の前にこっそりカッコ書きで「世界の中で」と付け加える。
- 「すべての」ということばを「一部の」という意味に変える。
- 日本人の全階層を「中流の上」と名づける。
- 実態にかかわらずすべての日本人に自らの生活水準が「中流の上」であるという幻想を植え付ける。
- すべての日本人が海外に移住し、そこでがんばってそれぞれの国で「中流の上」になる。
- 日本の国土の上に「日本2.0」とでも名づけた別の国を作り、「中流の上」以外の日本人にはそちらの国民になってもらう。
- 外国人労働者を大量に受け入れ、中流の上以外の階層をすべて外国人が担うようにする。
- 日本人はすべて川の中流の上に家を建てて住む。
- 「中流の上クラブ」という会員組織を作って全日本人をその会員にする。
- 「中流の上」かどうかを判断する領域を、所得や生活水準だけでなく「内心の満足度」「余暇時間の多さ」など多様化する。すべての人がいずれかの領域で「中流の上」となるまで、領域数を増やしていく。
中川秀直さんの主張は『80年代前半並の年率3%の実質経済成長(名目4%)によって、すべての日本人に(2006年現在における)「中流の上」の生活水準を実現する』というものと私は理解しています。物差しを2006年の状態で固定するのがミソ。
自分の生活は(2006年の基準で考えれば)中の上である、とみなが判断し、それで満足できるとすれば、その時点において中の上かどうかを問うて「幻想」と批判するのは難癖に近いと思います。無論、豊かな未来において2006年基準の「中の上」で人々が満足する保証はありませんが……。
以上の留保をつけた上で、「6 実態にかかわらずすべての日本人に自らの生活水準が「中流の上」であるという幻想を植え付ける。」が中川構想に最も近い、と私は思います。
中川構想は18年間で日本のGDPを1000兆円にしようというもの。18年という数字には根拠があるのだけれども、私は少し違うことを考えた。18年後、中川さんは80歳。自分の寿命はそれくらい、と考えているのではないか。
ところで中川さんの本は、支持者向けの内容なので、そういうものだと思って読むことができない人には勧めません。「はじめに」だけなら万人にお勧めしたい内容なのですが。