趣味Web 小説 2006-10-28

国民的論議は深まらないが

しかしなんか少なくねえ?と疑問の声が。

一般庶民を相手にする気があるなら、いくらでも論争の種はあるわけです。やはりふつうの大人は、相手を選ぶ。田中さんも旧ブログのコメント欄で徳保みたいな偏屈は相手にしない方がいいですよ、という助言を受けて、それ以来よくアドバイスに従っていらっしゃるご様子。

本田由紀さんやマッツァリーノさん、中村正三郎さんらが論客を呼び寄せたのは、いずれもリフレ派と限定して悪ければ経済学に通じた者から見て明白に誤った主張でした。しかしそれらはいずれも奇異な主張ではなく、ありふれた「誤解」だったと私は認識しています。

田中さんから見て中村さんの件は議論以前だそうですが、本田さんやマッツァリーノさんの事例だって、一方が他方の誤解を解こうとした話、単に事実認識を争っていただけ、と見るなら、やっぱり「議論以前」だったといえるでしょう。

もちろん私は、そうは思っていません。中村さんの世界観・価値観が経済学を拒否し、半ば粗捜し的に教科書の一部記述への(誤解に基づく)非難が行われたのだ、と考えるからです。中村さんの使った道具が欠陥品だったことをもって「議論以前」と決め付けるのは早計でしょう。その背後にあるものを見るべきです。

多くの議論は、一方から見て明らかに誤っていると思われる主張をスルーできない人の存在が基点となって発生します。ブログで経済論戦が生じにくいのは「さすがは経済学徒、議論の費用と利益の判断がシビアだから」これで概ね説明できるかと。

本田さん、マッツァリーノさん、中村さん……議論する価値のある相手として選ばれた人々を見るに、その基準の高さは明らか。そしてこのレベルの方々は「言論でお金を取れる」から、一部の例外を除いて金にならないブログには出張ってこない。ブログツールは使っても、一方通行の情報発信が基本。

以上が「経済学者の論戦が停滞する理由」ですが、その一方で一般人の間で経済論戦が停滞しているのは何故でしょうか。

これも同じような話だと思います。まず意見の異なるグループ間に交流がない。だから議論の敷居が高くなっている。その背景には、グループのサイズ差が大きく、まともにぶつかり合っても議論にならない。多数派は少数派の主張を論外として門前払いする。交流の遮断は、少数派の防衛手段です。

専門家の間では議論が行われていたけれど、国民的論議は全く深まらない中、経済財政諮問会議では竹中・中川VS谷垣・与謝野の論争が起きました。そして(国民の理解と関係なく)前者を支持する安倍総理を選出。政治家というのは偉いですね。選挙に落ちればただの人、という立場なのに。

結果がついてくれば支持は必ず得られる……その自信はどこからくるのか。政治家は国民から全然信頼されていないけれど、政治家は国民を信頼している。ときには愚痴もこぼすのはご愛嬌。市場を信頼してスゴい商品を送り出す実業家たち、愚直に自説を世に問う学者さん、みんな偉い。

危機の宰相

Information

注意書き