趣味Web 小説 2007-03-23

何と罰当たりな

学生の日常生活から遊離したテーマを投げると、「光と影」パターンにしたがって文章を書く学生が多い、という話題。それにしても、「呪縛」ですか。私なら「定石」とでも表現しますけど。

もちろん、自分がよくわかっていて、考えなくても書けるようなテーマだったら、ふつうに自分のことばで書くのだろう。しかしそうでない場合、自信のないテーマについて書くことを強いられると、とたんに過去の経験が記憶から呼び出されるのだ。

山口さんはこれを何か問題視されているようで、それが「呪縛」という言葉の選択に現れています。解放されるべき何か、があるに違いないという直感。私の意見は逆です。小中高と国語の先生方がきちんと生徒の教育に勤しんでこられた、その成果をむしろ賞賛すべきであって、何を恐れることがあるのか、と。

補習塾で教えていた経験からいえば、「光と影」パターンでサラサラとレポートを書けるのはエリートだけ。公立小中学校の、ざっと上位1割強。高校3年間頑張っても、半分以上の人には無理だと思う。どうして書けないかといえば、1.全く知識がない 2.自分の立場でしか考えられない 3.3行以上の文字列を筆記すると疲労困憊 といった理由。なかなかたいへんなのです。

作文の苦手な人に「自由に書きなさい」といっても無意味、頭真っ白になって時間を無駄にするだけなので、作文教育=考え方教育では、さまざまな思考パターンを教えていくことが多い。たいていの子は2~3文で完結する最小単位のパターン学習ならクリアできるけれど、段落単位で構成する段階へ進むのは難題です。

大学崩壊などといわれつつも、山口さんの勤務先の学生さんは「光と影」パターンをマスターしていますよ、ということならば、いい大学で教えられてよかったね、という話ですよ、これは。学生が優秀だから授業が成立しそうだな、よかった、ほっとしたよ、と。

もっと学力レベルの低い学生の集まっている学校では、生徒のよく知らないことについて作文を書かせることは不可能なのです。パターン学習のおかげで、よくわからないなりに文章を書けるようになっているのであって、それをつかまえて「呪縛」だなんていっていたらバチが当たりますよ。

というか

不満があるなら自分で小論文指導をやってみたらいいと思う。よくわかっていないことについて、どうやって文章を書くか。うまくすればひとつかふたつ、新たなパターンを教え込むことができるかもしれない。

インカ帝国の人々は音声言語を持っていながら、少なくとも数千年続いたといわれるその文明の歴史の中で、ついに文字言語を発明しなかった。アフリカ大陸の人々は地平線まで砂漠にするほど樹木を切り倒しながら、ついに燃焼効率のよいかまどを発明せず、石を3つ並べるシンプルなスタイルを貫いた。インド人が発明したゼロ、他地域の誰も、教えてもらうまでそのアイデアに気付かなかった。

種は自然発生しない、と割り切った方がよい。判で押したようなレポートを読まされてうんざりする山口さんの様子が目に浮かぶが、10年先も20年先も同じ思いをし続けるのが嫌なら、自分が何とかするしかない。

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