リアルな話として「も」読まれているらしいこちらの記事。
そういえば最近、「名文」という触れ込みで紹介されていたのが「砂糖菓子の長州力は撃ちぬけない」というプロレスファンへの憧れを綴ったエッセイ。でもこういう文章の書き方なんて、学校じゃ教えていないように思う。
私もそれほど幅広く実態を知るわけではありませんが、塾では夏休みの時期になると作文の宿題の相談も受け付けます。最近は高校入試の国語にも小作文の課題がありますので、冬休みには作文指導の授業もやります。そうした中で、私も少々、研究しましたが、id:svnseeds さんの記事はジョークだと思います。
いずれの項目も、実際に学校で行われている、少なくとも先生方が指導しようとしている内容とは正反対です。
教育問題に限りませんが、世の中、それほど変化は激しくありません。たいていの物事は十年一日のごとくです。私の頃の小学校国語の教科書には、結論から作文を書きはじめよう、という課題がありました。数年前の中学校でも、同様の指導が行われていました。現在の小中学校でも同様でしょう。
書きたいことを書かせない作文教育、なら私にも鬱々たるものがありますが、それとこれとは話が別です。以下、全国レベルの作文大会の受賞作をご紹介。まず“社会を明るくする運動”作文コンテスト(第54回)から。
見事な作文。主張→事例→主張のシンプルなサンドイッチ構成。明晰な短文からなり、論拠も結論も明快。いわれなき悪罵への批判もあります。さすが1位作品です。これが、日本の教育が到達目標として掲げるに足る作文ということになりましょう。
もうひとつ。全国中学生人権作文コンテスト(H17)から。
生田さんの作文で採用された「してあげる」問題、これは応用範囲が広いので、テーマの切り口のひとつとして覚えておくと便利。例えば、親子関係について。
ある日、ひどい親子喧嘩をする。自分の方が悪いのはわかっている。部屋に閉じこもるも、時間が経てばお腹が空く。生活力のない小学生、一人では何もできない。「**ちゃん、夕飯ですよ~♪」台所から呼ぶ声がする。恐る恐る部屋を出て食堂へ行くと、おいしそうなご飯の準備ができている。
うつむいたまま席に着く。「お母さん、どうして、ぼくなんかのために……」「あら、私はあなたのためにご飯を作るのが幸せなのよ」滂沱。
実際にそういう経験があってもなくても、こうした切り口を知ってさえいれば作文用にエピソードを「創る」ことが可能となり、夏休みの宿題が無事に片付く、と。嘘エピソードで周囲の人間を鬼か悪魔のように書いてしまうと後でまずいことになりますが、いいように書いておく分にはどーにかなります。