趣味Web 小説 2007-04-04

教える理由

私が教えた中で全科目総合の成績が一番低い子の話は「腹を割って話す」の思い出(2007-03-10)に書いたけれども、英語だけ極端に苦手という中学1年生も代講で面倒を見たことがあります。中学生になって半年くらい経過しているのに、アルファベットが頭に入っていない。さて、どうしようか。

悩んでいる時間もないので、漢字と同じ学習ステップを選択しました。まず、鉛筆はしまう。ノートも閉じる。テキストだけ開いて、a から g まで声に出す。まず私が声を出し、続いて二人で声を出す。一人じゃ絶対に声を出さない。こっちは休みなしだけど、しょうがない。

「エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、
さあいっしょに、
エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、
もう1回! 
エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、
よく頑張ったね、
じゃあ今度は指で教科書の字をなぞろうね、まず先生が読むから、それにあわせて指を動かそう、
ハイ、人差し指! 
(スローダウンして)エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、
今度は声に出しながら、サンハイ! 
エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、
2回目いくよ、声を出しながらやるのが大事だよ、サンハイ! 
エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、
じゃあ顔を上げて、指を空中に突き出して、空気の文字を書くよ、声を出しながらやろう! 
(少しペースアップして)エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、
まだまだ安心しちゃいけないよ、
エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、
あと2回練習したらテストしてみようか、
エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、
エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、
お疲れ様。テキスト閉じようね。
鉛筆出して、ハイ、こちら、テスト用紙。
書いてみようね、エー、ビー、シー、ディー、イー、エフ、ジー、
わからなくなったら指でやってみていいよ、
ジー、ジー、
学校のテストじゃ声は出せないけど、声を出さずに歌うのは自由なんだ、
ジー、ジー、
そーう、そうそう、よくできました!」

私が喋り疲れたので一休み。教科書の本文を読んでもらって、いま学校でやっている部分についてサラッとおいかける。予習はしない。復習だけ。そして再びアルファベットの練習。まずはさきほどの復習。ランダムに「シー、ジー、ビー、ディー、エイ、イー、エフ」と声に出して、書き取ってもらう。テキストを開く。間違った文字を指で1回だけ、ていねいになぞる。空中でていねいに5回書く。「よく頑張ったね~! じゃっ、今度はエイチからエヌまでだよ」

90分の授業中、実際にアルファベットを教えているのは20分程度に過ぎないのだけれど、生徒も私もやたらアルファベットばかり頑張ったような印象の授業後。

1週間後、「先週、あれだけやったんだからもうアルファベットは大丈夫でしょう」とバイト仲間の先生はいっていたけれど、「そんなに簡単ではありません」と私。

授業前の休み時間に a から z まで小文字を順に書いてもらったのだけれども、やっぱり忘れている。b, d, p, q はもちろんのこと、初っ端の a からして既に怪しかった。確実な文字は半分だけ。でも「エー、ビー、シー、……」とつぶやきながら指を宙で動かして字形を思い出そうをする様子が、ちょっと嬉しかった。これは講師の自己満足。

その子は1ヶ月くらいして他の塾へ移ってしまったと記憶していますが、気になって担当講師の方に訊ねてみたところ、やはり最後までアルファベットをマスターしていなかったという。結局そのことがお母様の怒りを買ったとか。

「毎週、毎週、教えたことをリセットして帰ってくるんですよ、徳保先生、どうしたらよかったっていうんですか?」
「さあね、ぼくらは何度でも教えるのが仕事。毎年、繰り返すのも、毎週、繰り返すのも同じことだよ。彼は英語の勉強がしたくて教室へ来た。だからそのたび、彼のわかるところから説明した。それで十分さ」
「でもお母さんは」
「そうだね、でも休み時間はもうおしまい。悔しい気持ちは心の中に」

後日。忘年会の席で。

「徳保先生、ほら、あのアルファベットの覚えられない子、いたでしょう。いま、どう思います? 先生がやってもダメだったじゃないですか」
「だからさ、そんなに簡単じゃないって。ひょっとしたら、永遠に無理かもしれないよね。半分はバッチリ覚えていたんだし、他の科目の成績からいっても、その可能性は低いとは思うけど、どうしても覚えられないものって、たいていの人にはあるものじゃないか。彼の場合、不幸にもそれがいくつかのアルファベットだった、という可能性はあるよ」
「それじゃあ俺の努力は何だったんですか。彼、塾に来ることもあまり好きじゃなくて、お母さんにいわれて渋々って感じだったし」
「いいじゃない、素直なお母さん子だったんでしょ。授業中はマジメだったよね。あの子なりの親孝行の手伝いをしたんだと思うよ」
「でも結果が出なくて、お母さんも怒って、彼、傷付いたんじゃない?」
「そうだね」
「俺、悔しいですよ」
「そう。ところでさ、余命半年とか、中学生なんかが宣告されてさ、それでも学校に通う話とかあるじゃない。あれ、どう思う?」
「いいんじゃないですか」
「いまぼくたちも本業は学生だよね。でさ、今日ここで飲み過ぎて、車に轢かれて死んでしまったとする。親は悲しむだろうけどね、無駄な人生だったと思う?」
「……」
「ぼくはね、ちょっとここで教えてて、思うようになったんだけどね、結果は結果で大切なんだけどさ、学びたい人がいて、教えたい人がいる。それでいいんだ、って」

「とくほせんせーはマジメよね~」と背後からチャチャを入れられて私は黙ってしまった。

人なんて、放っておいたら勉強しないんです、ふつう。我が身を振り返ってみても、つくづくそう思う。自分がどうして学校にマジメに通い続けたか。親の期待があったから、というのが一番大きいんじゃないか。授業自体は面白かったり、つまらなかったり。くだらないと思いながら受講してることも少なくなかった。

先日の記事では生徒が食いついてきた事例を書いたのだけれど、終始つまらなそうにしていたって、親にいわれて嫌々だって、教室まで生徒が来たなら、教師が教える理由としては十分だと思うのです。仮に結果はゼロでも、意味までゼロじゃありません。

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