趣味Web 小説 2007-05-24

野嵜さんの難しい要求:補足

野嵜健秀さんの難しい要求(2007-05-24)の補足記事。

1.

スルーは容認と同じです。私は「スルーせよ」と主張した事はありません。寧ろ「反論せよ」と何度も言つて來ました。ところが、私に好意的な人でも、この私の主張を否定してゐるのです。實際に私に代つて反論して呉れた人が何人もゐないのを見て、私は最早ウェブで物を言ふのは無意味だと悟りました。

野嵜さんの要望は読者に聞き入れられなかった。だから「闇黒日記」は終了した。明快です。

私は例によって、曖昧で中途半端で筋の見えない方策を説く。野嵜さんがもう少し協力者を得やすいやり方を模索していたら……粘着の根絶は諦めその被害を最小化するという発想の転換をしていたら……馬鹿馬鹿しい提案です。私はスルーは容認と同じという野嵜説を否定しているわけでね。所詮は不倶戴天の敵。

2.

私は rir6 さんと澄良木さんのトラブルを知りませんでしたが、まあ、知ってても静観していたでしょうね。rir6 さんが「やめてください!」といっているのを見てさえ、何もしない。「徳保さんからも一言いってやってくださいよ」と頼まれたら、ようやく重い腰を上げる……と思うけど、保証はできません。冷たい話ですが、rir6 さんよりもっと不幸な人は世の中にいくらでもいて、私は彼らを見捨てて生きている。

rir6 さんの日記は定期巡回先ではなかったけれど、野嵜さんの「闇黒日記」は毎日読んでいて、ずっと読み続けたかった。野嵜さんが「自分は疲れたので、**掲示板と**のコメント欄で代わりに頑張ってよ」というなら、「合点承知」と一肌脱ぎました。でも、逆にいえば、それくらいの動機付けは必要でした。

3.

「義」は他人だし、日本の司法制度は事実上、このような小悪を取り締まることができないから、「義」を止めることは不可能。では泣き寝入りしかないか。基本的にはその通り。しかし「義」の意図を挫くことは不可能ではない、というのが私の主張。

「義」の嫌がらせは、野嵜さんの名を騙って掲示板を荒らすというもの。しかしよく考えてみれば、世の中に同姓同名の人物はいるもの。荒らしの現場を見るに、名前だけの単純な騙りが大半です。とすると、「義」の書き込みが野嵜さんの印象を落とす過程には、「野嵜健秀」の名前で検索するステップが欠かせません。

何度でも書くけど、「義」の嫌がらせは「なりすまし」に成功することを前提としているのであって、その企みさえ破壊できれば野嵜ファンの勝ち。現状は最悪に近い。Yahoo では1位に、Google でも上位に野嵜さんを掲示板荒らしと呼ぶページが登場します。これだから「義」の簡単な攻撃が有効打になってしまうのです。

もし掲示板荒らしを発見した人が名前で検索してみて「野嵜健秀を名乗る者が複数いる」ことを必ず知るなら、成り済ましは成立せず、「言葉言葉言葉」の野嵜さんの名誉は傷つけられません。すると「義」は「言葉言葉言葉」のアドレスを添えて荒らしをするでしょうが、「言葉言葉言葉」のトップページにも同様の断り書きをすれば、同様に嫌がらせを無効化できます。

野嵜さんが「義」の活動自体を止めることを希望するなら、打つ手なし。自分に対する粘着のため世間の無関係の人に迷惑をかけたくないとかですね。それは「義」が悪いのであって自分の知ったことではない、と私なら考えますが、野嵜さんはもう少し自分の責任範囲を広く捉えるかもしれない。それは仕方ないことです。

4.

野嵜さんの要望にきちんと応える試み。予想以上の成功率。

5.

野嵜さんご自身の手になる「義」対策サイトなのですが……このタイトルと構成ではいけませんね。「野嵜健秀」と検索してトップに出るのは難しいし、仮にトップになっても、「義」の攻撃を無効化するという観点からは非常にもどかしい。一体どれだけの人が、なりすましによる攻撃が行われていることに気付くかな。

もちろん、じっくり読めば分かる。でもそれってあまり意味がない。パッと見て分からなきゃ。

叩き台として、ひとつ書いてみました(2007-05-28)。でもこれ、野嵜健秀さんの難しい要求(2007-05-24)より検索順位が上には行きそうにない。多分、誰もリンクしてくれないから。まあ、こういうことは「政治運動」のようにやらなきゃダメです。

以下、折を見て書き足します。

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