趣味Web 小説 2007-05-29

抑圧の責任を引き受ける:当事者スルー考

自分は絶対にああいう事件の被害者や遺族になるはずがない、って考えている人の意見ですね。どうして自分だけはいつも観客席にいられると確信できるのか不思議だよ。

私は「量刑と遺族感情は切り離すべき」という id:terracao さんの意見に基本的な考え方としては賛成で、引用したコメントには異論があります。

私もいろいろなトラブルに関わってきました。「どうして当事者の意見が無視されるのか!」と憤ったことも一度や二度ではない。しかし自分の経験からいって、重大なトラブルであればあるほど、当事者の意見は参考程度に留め、第三者が淡々と処理する方が、総合的にみてよい結果をもたらすことが多い。

凶悪犯罪の被害者となったとき、自分が何を考え、どのような主張を繰り出すか考えてみるに、その主張は聞き流されるのが妥当です。かつて「司法に絶望した」といって犯人への殺意を明言した遺族は何人もいました。同情する人、共感する人は多いでしょう。けれども、こうした発言は聞き流す他ない。

幸いにして平和に暮らしている今の私は、大勢の幸福と私一人の希望を比較するなら、前者を取るべきだと判断します。個人の復讐心を肯定すると社会に不幸が増えることは、繰り返し実証されてきました。

そんな私も、当事者になれば「今こそ本当の苦しみがわかった、俺は間違ってた」というでしょう。「俺一人を救えない社会が、誰を幸せにできるのか。例え世界が滅びても、我が願い成就せよ」と望むに違いないよ。過去、これで何度、道を誤ってきたか。感情の暴発に周囲が同調してしまってはいけない。

被害者への配慮や支援は行われるべき。遺族感情の量刑への反映も、(私は id:terracao さんと異なり)全否定しません。それでも、この社会の平安が犠牲者の抑圧の上に成り立っていることは変わらない。

敵討ちの横行を是とするのでもない限り、第三者としての視点を失うのは無責任です。究極的には抑圧者である自らの立ち位置を認識し、被害者の苦しみを自らの罪として引き受ける、その上で、よりよいバランスを模索していくのが道理だと思う。

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