趣味Web 小説 2007-08-31

自己紹介作文「私の得意なこと、苦手なこと」

長いよ。

1.

しばらく更新を休んでいたわけですが、忙しかったわけでも、書きたいことがなかったわけでもありません。実際、いろいろ書いてはみましたしね。

でも、書いたものを公開するときに、どうも気後れしてしまったのです。

このところ仕事の方で、自分のあまりの無能さに愕然とするようなことが続き、まあ入社以来ずっと「どうしてこれほど仕事ができないんだろう」という思いはあったわけですが、とうとうそれで気が滅入ってきた、と。偉そうなことを書くのが好きなので、こういう状況になると、いささか矛盾に耐え難くて……。

学校では秀才で、部活動でも委員会活動(図書係りとか)でも、ちょっと頑張って取り組んだら激賞されるような結果を出した。アルバイト先でも一部例外はあったけど、たいていどこでも「いい人が入ってきてくれた」といわれ、辞めるときは「辞めないで!」とか「また暇なときにはぜひ」といわれてきた。

じつは今でも、つまらない場面では、「頭がいい」とかいわれるわけですよ。「なのにどうして仕事ができないの?」って不思議そうにされるけど。

2.

考えてみると、長らく私は、慎重に自分の能力を活かせるフィールドを選択してきたんですよ。やりたくないこと、苦手なことからはサッサと逃げて、好きなこと、得意なことばっかりやってきた。でも、就職活動のときには、スジを曲げたんです。

だって、私の得意なことって、アルバイトにできるような仕事ばっかりだったからです。具体的には、マニュアルとか詳細な作業指示があって、同じ場所で複数の人がほとんど同じことをする、そして作業員同士のコミュニケーションは密である。これは言葉を交わすとかに限らず、顔を合わせ続けるのも含む。ただし体力勝負の仕事は、てんでダメ。虚弱体質なので。

私はまず、マニュアルや指示をなるべく愚直にこなす。それだけで真ん中より上のポジションを取れる。続いて、周囲のやり方を見る。馬鹿なことをやっている人が必ずいる。その改善案を考える。自分で試す。うまくいったら、お節介をはじめる。上司がやってくる。私のいる班は、他班より仕事が速くて誉められる。

もうね、鉄板。うまいやり方を思いつかなきゃつかないでいい。その場合、上司には誉められないけど、マニュアルを勘違いしている人や、そもそも読めない人にお節介していくだけで、感謝されるし尊敬もされる。自尊心は存分に満たされます。

じゃあ今は? そう、essa さんのいう価値創造的な労働っていうんですか、そういうのをやっているのです。同じ仕事をしている人が、他にいない。そりゃ相談する相手はいますけど、「代わりにやってくれません? 横で見ていて、真似しますから。あと、改善点があったら口出しもします」というわけにはいかない。

私が何かを考えたりひらめいたりするきっかけは、「こいつバカだなー」なんです。で、どうバカなのか、を追求する。答えが出れば、改善案はもう完成したも同然。

3.

いや、今やっている仕事も似たようなものですよ。製品を改良しましょう、そのアイデアを特許にしましょう。一人年1件以上、特許を出そう、ということになっている。入社6年目、いまだ特許なし。一人だけ取り残されてしまった。

どうも、一人だと根気が続かないんですね。たしかに27年の人生を振り返って、いつもそうなんです。中学・高校と美術部に入ったけど、ろくに絵を描かない。部室の掃除をしたり、油絵初心者の新入部員の指導法とか、そういう雑用みたいなことばっかり、やる気が出る。

部室は共有スペースなんだから、私物は自分の棚にきれいに整頓して収める、共有物はリストアップして置き場やしまい方もきちんと決めないと、知ってる人だけが事実上私物化してしまって不公平だ、そうだろう、なんでお前らはそんなことがちゃんとできないんだ? 許せん、俺が乱れきった美術部の綱紀を正してみせる!

美術部員のくせに、この絵の具とこの絵の具を混ぜたらどんな色になるかもわからないのか? ちゃんと絵の具の混ぜ方には、物理的な理屈があって、簡単なルールを知っておくだけで、たいていの混色は結果を予測しながら行うことができるようになるんだ。俺が教えてやるぜっ!

一方、自分が自分の納得できるような絵を描く、なんてことには、正直ほとんど関心を持てなかった。絵の展覧会で賞を取れば、美術部全体の名誉でもある。でも、ダメだったな。いい絵を描くなんて個人的な作業は、他の、もっとそういうのに向いている部員にお任せしますよ、と。

で、その環境作りに精を出して、私が実質的な部長役を務めた3年間(高1で部長を務め、高2以降は部長補佐役と称して院政を布いた)、空前絶後の受賞ラッシュとなった。これには私もビビった。真実は、偶然に才能のある部員がたくさんいただけなのでしょうが、私は鼻高々でした。

4.

高校時代、美術部と掛け持ちした文藝部でも同じようなもの。本来は、小説なりエッセイなりを書きたい人が、発表の場を求めて入部するわけです。私は最初から、何も書く気がなかった。ただ、小学校・中学校時代に、文芸部の本を読んで面白かったので、入部したんですね。

最初の1年は幽霊部員でしたが、2年目から急に興味を持ち始めた。理由はいろいろですが、今回の文脈に即していえば、同期が部長や編集長になった、それが切っ掛け。「面倒くさいこと引き受けちゃったよ」「ふーん(お手並み拝見させていただきますよ)」そうしたら、やってることのバカらしさにビビビッときた。

で、夏休みに編集長の座を奪って、好き勝手やってみた。以後、例によって院政モードに入る。

なぜ院政か。それは、なるべく現場作業をしていたいからです。「こんな指示を出したらいいんじゃない?」というのは好きだけど、そういうことを仕事にしたくはないし、実際、向いてもいない。一度だけ主導権を握ってバリバリやって成功し、発言権を得る。以降はアドバイザーとして生きる。

ズルいけど、これでいいとも思う。だって美術部が最高に成功したのも、文藝部が最高に盛り上がったのも、私がアドバイザーになってからなのです。

私は他人の作品に対して好き勝手なことをいうのは大好きだった。文藝部が100冊雑誌を作っても、感想ペーパーは数枚しか回収できない。作家は感想に飢えている。だから私の素人批評でも、たいへん感謝された。

絵も文章も、技術的なことなら、比較は簡単。優劣もつく。私が興味を持って取り組めるのは、そういう部分。その先の、個人の内省的努力みたいなものが必要になる仕事は、全然できない。だから絵を描くことができず、文藝部の雑誌に載せる原稿も書けなかった。

図書係りの仕事も同じ。本の整理は大得意。他の人が怠けているのを見ると、ものすごくやる気が出る。4~5人の係りがいるのだけれど、自分だけで3分の1以上をやってしまう。そういうのが嬉しい。一方、読書会みたいな企画を考えたり、図書館だよりのテーマを決めるのは全然ダメ。

もちろん、いったんやると決まった読書会の運営技術を向上させていくのは得意分野。へたくそな司会に我慢ならなくなり、1回だけ自分がやる。少なくとも前回よりはかなりよかった、という評を得る。以降、アドバイザーになって、自分はもう二度とやらない。ワンパターン。

5.

私が学級崩壊を起こしたのは零細塾でした。他の講師の仕事がわからず、いちから自分で考えていったら、あっさり潰れました。

次に勤めたのが中規模の個別指導塾。バイト仲間がたくさんいて、パーテーションの向こうで行われている5人の授業が全部、耳に入ってくる。教えている内容はみなほとんど同じ。だから、私のエンジンに火が入った。無能な講師のダメっぷりにイラつく。さて、どう改善したらいい? いろいろ試す、そして……。

長期休暇中には集団講習もある。事前の授業練習会、初めの頃、私は順番を最後の方にさせてもらった。6人の大学生が続けざまにド素人の下手くそな授業を見せてくれる。それを見ながら頭の中で改善シミュレーションを繰り返す。結果、「徳保先生は集団授業の経験も豊富なんですか?」というコメントをもらうことに。

当然、教室長らは「まだまだでしょ」。でも素人同士では「すごい」となった。結局、大したことはないんです。私は塾講師が天職だなんて思ったことは一度もない。最終的な到達点は、いつだって高くないのです。自分の能力なんて、高が知れている。ちょっと小器用なだけ。でも、生きていくには十分だと思ってた。

いや、今でも、生きていくだけなら十分なんだと思う。だけど、ちょっと背伸びしちゃった。

塾では結局、「徳保先生に教えてほしいから」という理由で入塾してきた人はいなかった。個別指導塾では講師と生徒の癒着が生じやすいので、年2回程度、組替えが行われる。そのとき、保護者から(生徒ではダメ)抗議があれば元に戻る。私の生徒は、しばしば戻ってきたけど、これはかなり珍しいことだった。

でも、その程度のことだったんだよね。教室の浮沈を決めるのは、正社員の教室長と副教室長の広告戦略と営業トーク。バイト講師には無能な奴がたくさんいるのに、すぐ安請合いする。もちろん成績の上がらない子はたくさんいる。ところが舌先三寸でお母さんたちをコロッと丸め込み、「うちの子に、もっと頑張らなきゃダメよ、って言い聞かせます!」といわせちゃう。

こんなのは、私には無理だと思った。じゃあ講師として、アルバイトじゃない道を目指す? でも、難関高校の入試問題を楽勝で解けるようになるのは、自分には無理そう。補習塾の生徒を教えるなら、時給1200円のアルバイトじゃないと採算が取れない。商売敵はなんと学習支援ボランティア、無料なんです。ボランティアの主体は主婦と学生。個別指導塾のアルバイト講師陣とまったく一緒。レベルも同じ。

なるほど、正社員の営業トークの有無、それがお金の出所なんですね。

私のいた教室は2人体制でしたが、ほとんどの教室は社員1人。入社後、たった1ヶ月の研修で教室長になる。3年で8割が辞めるという。おそろしや。

6.

他にもいろいろアルバイトなどやってみましたけれども、どこでも感触は同じ。

私が得意で、「こういうの、向いているなあ、面白いなあ、楽しいなあ」と思えるのは、アルバイトの仕事。正社員は、そんなのやってない。でも、給料も福祉も全然違うんですよね、フリーターと正社員って。

だから、向いていないけど正社員になろう、と。それで、さまざまな業種のメーカーの採用試験を受けて、「工場の作業員をやりたいんです」とバカ正直に言って回った。ほとんど、門前払い。1次面接でサヨナラ。あっという間に5社、10社とすげなく落とされた。

工学部卒業予定で、こんなに成績も良くて、先生方から「どうしても院へは進学しないのかね? 経済的問題なら援助するよ」とまでいわれているこの俺様が! やりたい仕事もさせてもらえないのか! まあ、正社員で、という条件だからダメなんだろうけど……。悲しい、泣けてくる。やっぱり高卒で就職しておけばよかった。本当は大学なんて行かなくていいやと思ってたのに。

散々悩んで、面接で嘘をつくことにした。最初はうまくいかない。でも、だんだん嘘もこなれてきて、2社からほぼ同時に内定をもらい、より気に入った会社として、今の勤務先を選んだ。3月にはじめた就職活動、決まったのは7月ですよ。正直に就職活動をしたいから学校推薦を選ばなかったのに、バカみたい。(注:有名企業狙いでない限り旧国立一期校クラスの国立大学の理系学校推薦なら就職は楽勝だった/2001年春)

入社してみれば、研修中のペーパーテストの類は常にトップクラス、驚いたのは30人近い同期入社の内、入社試験対策でペーパーテストの勉強をした者が3人くらいしかいなかったこと。半分くらいは面接の練習さえしていなかった。こりゃ、楽勝だわ、と思ったんだよね。

7.

ところが、楽勝だったのは(複数人が同じ課題に取り組む)研修期間中だけ。本採用され、配属された後に苦難の道のりが待っていた。

会議があるでしょ、他の人の発表とか聞いていると、「なんかそれ、もうちょっとうまくできるんじゃないの」と思うことがある。素人の直感レベルで。入社後、しばらくは、質疑応答タイムに積極的に発言していた。すると、誉められたり、感謝されたり。「いい指摘だ」と。

その内、「じゃあそれ、君が詰めてよ」といわれるようになった。ところがこれが面倒くさいんだよね、ものすごく。改善案を出すのは簡単なんだけど、それが本当に改善につながるのかどうかをきちんと理論的に解明していったり、シミュレーションを行ったり、試作品を作って実験したり。延々と孤独な作業が続く。

はじめのうちは、先輩たちが何くれと面倒を見てくれて、いつも誰かと一緒に作業するような形になるし、まず先輩がやってみせ、続いて自分が、となる。これは私の成功パターンですよね。だからサクサク研究が進む。で、「残念ながらアイデア倒れでした」という結論が出る。「キミ、仕事が速いね、優秀だね」

2年目、3年目と進むにつれ、一人でテーマに取り組む割合が高まってくる。すると、目に見えて研究が進まなくなってきた。自分でも呆れるほど。すぐに行き詰る。机に向かって頭を抱えたまま、一週間何もできない。これって鬱病か何かなんじゃないか。ところが、週末の掃除の時間になったら、とたんに活き活きとする。

みんなで一緒に同じことをする、周囲がサボっていればいるほどやる気が出てくる。黄金パターン。アホかと。掃除なんか、いざとなれば清掃会社の人(通常は午後2時頃に帰宅)に追加料金を支払えばいいんだ、と部長もいってる。正社員が掃除の時間だけ活き活きとしてるなんて、ふざけてるとしかいいようがない。

今でも、会議の発表テクニックとか、あるいは技術方面でも思いつきレベルの改善案なら、いろいろ頭に浮かぶ。でも、ここ数年、自分の発表テクニックは退化させてきました。研究が進んでいないのに、作業報告だけ立派なのが恥ずかしくなった。で、どんどん地味に、印象に残らないような方向へ……。

思いつきの改善案、「いいだしっぺが検証しろとはいわないから」と宣言されたブレインストーミングでは、今も好き勝手にいってる。このときだけ、「なんだ、やっぱり頭いいんじゃないか」という顔をされる。でも発言に責任を取らなきゃいけない場面では、非常に口が重くなった。

だって、アイデアの10に9は、詰めていくとダメだと判明する。新人の頃のような2人組体制ならそれでも頑張って取り組めるのだけれど、「これくらいなら1人で十分だよね。みんな手一杯だし」と自分一人に任されると、たいへんな時間を空費した挙句に「ダメでした」の連発で……。

8.

向かない仕事は向かないのであって、私はやっぱり高卒で就職すればよかったんだ。私の勤務先でも、高卒なら工場の作業員を正社員として雇用しているのです。しかも給与は大卒と同じ(定期昇給4年分で大卒の初任給に追いつく)。

まあ、大学は楽しかったし、しょうがないか。どうせ、周囲の期待を押し切るだけの確信も、進学を望む両親を泣かせて動じないだけの胆力も、高卒時点の私にはなかったんだ。何度、人生をやり直しても、それは変わらないと思う。

過去に何度も書いているように、勤務先は非常にいい会社。イジメとか見たことがないし、みんな親切で優しいし、理不尽な人もいないし(ときどき理不尽な言動を取るくらいは誰だってそうでしょ?)、残業も少なく、残業拒否も可能で、有給休暇は当たり前のように取れる。理想郷。

これほど恵まれた環境なのに、どうしてこうなっちゃう? 理想郷にいるってことは、周囲に責任転嫁できないということなんだな。

この夏、昔取った杵柄でいくつか記事を書く度に、なんだかどんどん落ち込んできて、ブログ更新できなくなっちゃった。偉そうなこといって、今の自分、ダメじゃん……。

手取り300万円くらい年間収入があって100万円くらい余っている。だけどこれ、余っているからいいのであって、最初から200万円しかなかったら、心配でたまらないだろう。フリーターじゃあ、仕事は楽しいか知らないけれど、名実ともに優秀な人として扱われて気分はいいかもしれないけれど、ふんぎりはつかない。

学生時代のアルバイト、所詮は腰掛だと思っていたから、薄給でも気にせず全力投球して楽しめたんじゃないのか。生活の柱として取り組んでも、あんなに楽しかっただろうか。

私は怖がりで、明るい未来より暗い未来をよく考える。なるべく現状に満足して、リスクの少ない道を選ぼうと思う性格。そういう自己認識自体が、また自分を規定していくものなんだけど、そうやって可能性を制限していくことが、私にとっての安心獲得の手段なんだよね。

9.

今日、異動の打診があった。

10月に、研究部門から、事業部門へ異動の計画があるという。勤務先では、当人が嫌がる異動はしないことになっている。私が意向を示すのは、半月後の予定。

事業部門は最終製品の開発・製造・サポートを行うところ。だいたい事業部の人と会うと、研究はいいなあ、と羨ましがられる。研究から移った人はみな、それを知ってて、「はい喜んで」と異動を受け入れた人なんだけど、「やめといた方がいいよ」という。そういっている人もまた、それを無視した一人なんだけど。

何でそうなるのか。私はずっと不思議に思っていた。とくに同期入社の一人で、「定年まで絶対に研究にいたい」といってた人が、あっさりと異動の話を受け入れたのには驚いた。

でも、今ならわかる、気がする。研究部門で、この先、何をやりたいとかいうのが、ないんだよね。生きる手段としての仕事、宝くじでも当たったら、「社会に必要とされてる感」はアルバイトやボランティア活動の類で十分だわ、という人間だから、私は。

いま事業部の方で、**の仕事をしてほしい、徳保くんがほしい、といってきている。ゴネて残って、自分、どうするんだろう、と思う。事業部はきついって、散々脅されても、それでもうちの会社である以上は、労働組合が管理職を常に監視している。滅茶苦茶はありえない。だったら……と。

それに何より、事業部の方には、一部だけど、大卒の正社員複数人が同じ仕事をしている職場があるんですよ。最初の行き先がそうじゃないことはわかっているけど、だんだんそっちへ近付いていって、また自尊心を回復できるかもしれない、という期待。

暗闇に光明が射した感じ。

10.

つーか、みんなができていることなんだから、徳保だって頑張れば一人で仕事をするくらい、不可能じゃないんじゃね? できないんじゃなくてやらないんでしょ、と。そうかもね。

でも、現にこれだけウンウン呻いて、何年も底なし沼にハマったみたいになってる。「こんなのは気の持ちよう次第なんだ」と、どれだけ自分に言い聞かせたか。できないはずがない、いや絶対にできる、よしやるぞ! 1時間後にはもうゲンナリ。

もっと強い動機なり意志なりがあれば、案外、コロッと変わるのかもしれない。そうは思うけど、思うけど……。「くだらない、そんなの全部、やらない言い訳じゃないか」はい、そかもしれませんね。

今更というか、いってもしょうがないことだけど、自分が仕事を配分できるような後輩が入ってきていたらなあ、なんて夢想することはあります。後輩にとっちゃ迷惑だろうけど、全部の仕事を2人でやる、という体制にして……。でも、無能なままで後輩がつくわけがないよね。上司の判断は、当然のものと思う。

さて、半月後、どうしよう。じつはこの記事に書いたのは、そのときに上司に話そうかと思ったこと。頭の中で考えている分には、「こういうことをきちんと話さないからダメなんだよ」とノリノリだったんだけど、テキストにしてみたら、ちょっとね。またしばらく考えます。

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