趣味Web 小説 2007-10-26

コンセンサスに基づく児童ポルノ規制

世論はそうだろうな、という印象。個別面談ではなく電話や郵送による調査でも、結果に大きな違いはないと思う。

個人的には、反対派の言い分はよくわかる。例えば資料5を提示して、対象者によく読んでもらってから質問するというその資料5の内容。

近年、子どもたちに悪影響を与える恐れのある以下に示すような情報(「有害情報」と言います。)が多くなっています。

雑誌、DVD、ビデオ、ゲームソフトなどの有害情報に対しては、現在、ほとんどの都道府県で条例により、有害図書類等の指定や青少年への販売禁止などの制限がありますが、罰則が弱い、各都道府県により規制がばらばらであるなどの指摘があります。また、インターネットの世界でも通信事業者やネットカフェ業者による自主規制などが行われていますが、業界団体に属していない業者は規制の対象外となっています。子どもがインターネット上の有害情報に携帯電話等でアクセスして被害にあうケースも増えています。

一方、表現の自由等に配慮して、どのような情報であっても規制すべきでないという意見もあります。政府では、こうした状況を踏まえ、様々な取組を行ってきたとともに、平成19 年7月に「有害情報から子どもを守るための検討会」を立ち上げ、

の5原則を掲げて検討を進めているところです。

悪影響を与える恐れはさておき、悪影響を与えるという十分な証拠は、ない。

でも、旗色悪いと思うよ。だって、証拠がないといえば、そもそも18禁とかいう規制自体、科学的な根拠がない。小学生にアダルトビデオを見せて社会に何の悪影響があるのか、という話になる。そりゃ多少の文化的衝撃はあるにせよ、数十年も経てば新しい世界はそれなりに安定しているでしょう。

注:首を絞めれば人は死ぬ、なんて小学生でも知ってること。だからといって「試してみよう」で殺しちゃう事例は滅多にない(がゼロでもない)。小学生に自制心がないかのような前提で、あるいはリスクゼロ志向でアダルト規制を正当化できるだろうか?

思想信条の自由なんてフィクションなのであって、実際には様々な文化的規制がはびこっています。もちろんフィクションだからどうでもいいんだ、とはいわない。現状程度のバランスで踏みとどまっていることに意味はある。でも、所詮は相対的な自由に過ぎないということ。

であるならば、日本という国から児童ポルノ文化を廃絶したいという人々の願いが非常に強いものだとすれば、原則論で対抗するのは難しい。地道に許容範囲争いをしていくしかない。で、まあ、児童ポルノじゃあ、勝ち目は薄いと思う。

宮台さんはこう結論する。

性的メディアが青少年に「悪影響」を及ぼすとの理由で、性的メディアを規制することには、科学的に根拠がない。にもかかわらず性的メディアを規制するなら、第一部で述べた「法と道徳の分離」という近代法の原則に抵触しているという誹りを免れない。

多分、宮台さんのいう「法と道徳の分離」という近代法の原則は、日本で国民的なコンセンサスを得ていない。ハリウッド映画などを見る限り、アメリカでも庶民はその原則に賛同していないだろう。メディア規制は、シンプルに「民主主義的に正しい」とする主張が、世間的には一番通りがいいのではないか。

補記

言論の自由の確保こそが民主主義の生命線であり云々、1対1ならそれで勝てるかもしれないが……。ことによると、児童ポルノを守らなきゃ存続できないならむしろ民主主義を捨てる、という人の方が多いかもしれない。日本が直接民主主義を採用していたら、児ポ法はとっくの昔に強化されていたろう。

欧州では被害者を出さないという観点から云々、これも通用しないだろう。日本は日本、欧州は欧州。国民の価値観が異なれば、結論も異なって当然。死刑賛成の世論と同じ。

Information

注意書き