たとえば著作権延長問題で、松本零士さんを馬鹿にし、三田誠広さんを嘲笑してきた人はとくに、もう一度、考え直してほしい。
そんなにルールを厳しくしたら、俺たちもう買わないぞ。コンテンツ市場が縮小しちゃうぞ。そんな脅し、通用するわけがない。「Reblog 文化は人の悲しみに依拠しているので、潰れてよい」と考えるなら、「創作者に最大限の配慮をするためならコンテンツ産業が縮小するのも本望だ」といってもいいだろう。
営利企業さえ、売上にいい影響がなかろうとも CCCD を推進してみせた(avex は社長が交代してフツーに利益追求体質に戻ったけれども)。信念に生きるとは、こういうこと。損得で通じる話ではない。
ただ、人間、そうそう信念のために飢えて死ぬところまではいかない。米国 Amazon がどうして「わざわざ」DRMなしで音楽データを販売するのか? 答えは簡単、儲かりそうだから、だ。補償金がいいか、DRMがいいか、しばらく考えていたのだけれど、私の中では結論が出た。DRMがいい。
補償金制度だと、利益追求のためにビジネスモデルを競うことができない。DRMなら、各社の判断で、付けたり外したりできる。金儲けバンザイの人が社長を務めている限り、神の見えざる手が最適解を導くはずだ。
地デジのコピー制限も同じ。コピーフリーにしたら視聴率が1.5倍になる、パッケージが3倍売れる、というなら、民放のコンテンツは全てコピーフリーになる。狂信的な人が「抜け駆けは許さない!」とかいって競争を阻害しているなら批判に値するが、そうでもなければコピー制限したい会社は勝手にそうすればいい。
JASRAC だって同じ。JASRAC 未登録で、何でも自由に使い放題だよ、といったら何億円も投げ銭が貰える、というなら、みな率先して JASRAC にサヨナラする。逆に JASRAC に登録するのが(総合的に見て)一番トクなのであれば、まともな感覚で商売してる人は JASRAC に楽曲を登録するに決まってる。