趣味Web 小説 2008-03-04

著作権をめぐるイライラ(2008年春版)

ケータイ小説とかだと一人で作れたし,YouTubeもだいたい一人で作品を作ってる。それに対してニコニコ動画の場合,人が作ったものを勝手に変えるのもアリだよね,という文化圏なんですよ。ケータイ小説もYouTubeも,それはあんまりないんですけど。

例えば他人が作った動画で勝手に悪ノリしてみましたとか,絵を付けてみましたとか,音声つけてみましたとか。著作権法上あり得ないことなんですけど,ニコニコ動画内に,当然のことだよね,文句言うのがおかしいよね,という文化圏を作ってしまうと,割と予想外のものがどんどん出来上がるっていうのが,見ていて面白いです。

私の感じてるニコ動の空気は、ひろゆきさんの認識とは少し違います。基本、プロ作品の改変なら、かなりひどくても基本的に許容。ところが素人の二次創作を「劣化改変」すると、激烈なネガコメが並ぶ。プロが相手ならやり放題。素人が相手だと相当程度、倫理的に高潔な方へ針が振れる。

自分に近い立場の人間の痛み(だけ)に、ひどく敏感。どこかの誰かさんが怒っても泣いても、俺たちの楽しみを邪魔するヤツは頭が固い、で頓着しない。ムカムカする。

同人誌の全頁アップがやたら叩かれていたりすると、その熱意をどうしてテレビ番組のアップロードにも発揮できないのか、と思う。削除されたら怒ってDVDの不買運動を提唱する人まで出てきたりして。この落差はなんなのか。

仲間がされて嫌なことを、どうして赤の他人には押し付けたがるんだよ。完全に自分の都合だけじゃないか。私はコンテンツはどんどん再利用された方がいい派だけど、こっちへくる人、大歓迎、というやり方にしたいと思っている。だからまず自分のコンテンツを解放するところから始めよう、といってる。

Yahoo!ブログの転載許可機能は、多くの批判があってデフォルト不許可になってしまった。転載ボタンが表示されていても、それはデフォルト設定に気付いていないだけで、本当は許可する意志がないかもしれない、そこがはっきりしない、だからいけない、と。

著作権法違反は親告罪だから、無断複製不可とパッケージに表示されていても申し立てがない限りやり放題、と考えているような連中が野放しになっていることの方が、ずっとずっと大きな問題なんじゃないのか。プロの権利が侵害されても「独占から共有へ」とかいって許容しようとすることと、どう整合が取れるのか。

「被害」にあうのが素人だと、可能性のレベルで芽を潰そうとする。カジュアルにお互いのコンテンツを転載し、転載される、そういう世界を夢見ていた人間の邪魔をしやがって。自分に転載の楽しさが理解できないからって、現にそこにある需要を頭ごなしに否定してさぁ。

いや、ニコ動オッケーな人と、転載許せない派の人は別なんだろう。個々人の主張には整合性がある、と。だけど、炎上事例を眺めていくとね、日本のネットユーザーの集合知が見えてくる。その集合知が指し示す望ましい未来や正義みたいなものに、私はイライラしている。

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