趣味Web 小説 2008-03-04

国語の問題として読む[弾 VS repon]

repon さんの一方的な勝利宣言、私にはどうもピンとこない。所詮、言葉の解釈次第でどうとでも、の世界。弾さんのいうような、「正当化しえない攻撃の認識」が証明されているとは思えない。弾さんの文章から問題になってる箇所を抜き出すと、以下の通り。

彼らに思い切って聞いてみればいい。「なんで僕にこんなひどい仕打ちができるんですか」って。

君の年収分を賭けてもいい。彼らにはそんな自覚ないから。それどころか彼らは彼らで「俺たちがこんなに一生懸命やっているのに、なんであいつは足を引っ張るんだ」、と思っているから。

repon さんの解釈は、弾さんの文章における「自覚ない」の意味と異なっている。

この記事で私が描写した出来事を例に説明します。

対象の人物が傷ついたこと、精神的暴力による私的制裁である、という意味では「ひどい」。しかし攻撃者たちは「因果応報」「許容されうる人付き合い作法の範囲内」と自らの行為を正当化していた。したがって「ひどいよ!」「どこが? 当然の報いでしょ」となる。これが弾さんのいう「自覚ない」です。

注:私の挙げた事例では、教師の介入により内向きの言動は正当性を失い、攻撃者たちは、なるほど世間の建前に照らせば「悪い」ことをしました、ごめんなさい、と謝ることになる。

さて、repon さんの記述からは、攻撃者に「何」をしたかという認識はあれど、「ひどい」ことをしたとは思っていないように読める。悪行の「自覚ない」わけ。これくらい、大したことじゃない、許容範囲だ、そう思っている。つまり、賭けに勝ったのは弾さんだろう。

検証抜きで repon さんの文章を受け入れるとしても、受験国語的解説としては、私の読みが有力と思う。どうだろうか。

追記

この話題では谷島さんに軍配を上げたい。弾さんは谷島さんの文章を読み違えている。

それはそれとして。

トラブル無き完全稼働を求めていると誤解される書き方は避け,「バグを完全に無くすことなどできない。エンジニアの皆さん,少々のトラブルは起きて当たり前です。致命的な問題さえ起こさなければ成功と言えます,気楽に行きましょう」と書けば良かったのだろうか。

私の答えはYes。多分、弾さん周辺で望まれていたのはそういう書き方なんだと思う。

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