趣味Web 小説 2008-03-06

再び、原因と責任

最近、この記事と同じことをいいたい事例をいくつも目にしていて、一言書きたい! と思ったんだけど、2年前に書いた以上の考えは微塵もなく、虚しいなあ、と。リンクしても読まれないから、同じ内容で再び書くことに意味はあるが、面倒くさい。で、面倒に思う程度の発言欲なら黙ってる方がよさげ。

というのも、原因の指摘を責任の追及とほぼ同義とする考え方が多くの人に共有されていて、勝ち目がない。ちょっとした勘違いが蔓延している、という状況なら、「ほらね」と示せば「あっ、そうですね」となるんだけど、そうじゃないわけ。

気軽に原因の排除に突き進む側には、「いや、あなたが悪いとはいっていない。悪いのは加害者。それはもうハッキリしてるって。異論ないってば。(って、これだけ繰り返し強調してるのになぜ分からんのだ)」みたいな苛立ちがあったりするんだけど、「原因を作った=悪い」という価値観の持ち主には全く通じない。

そう、価値観なんだよね。だから、どうにもならない。「原因と責任は別問題。原因を作ったからといって悪いわけじゃない」という説明をいくらしたって、まず理解されない。運良く理解されても、「私にはそう思えない。原因を指摘されたら、自分が悪かったのか、って思ってしまう。悲しくなる」で終了。

たしかにこう返されたらそれまで。それが少数派の価値観なら、踏み潰されてオシマイなんだけど、じつは原因と責任を分離して考えるのが少数派。現実的対処法をいうなら、こっちが自重するしかない。

なので、当事者に対する説得みたいなことは、できない。そりゃ、表現の自由といって、やってもいいけど、大勢を怒らせてまですることか、と考えると、まあ躊躇しますね。「面倒」ならやめといた方がいい。で、こうして抽象的に、特定の誰かを説得する形式ではなくて、辻説法スタイルで布教活動をしているわけです。

ちなみに私が少数派の立場にめげず持論を捨てないのは、「気軽に原因追求できる社会の方が、幸福の拡大と不幸の縮小に有利」と確信しているからです。人々が原因=責任という価値観から脱却できれば、ぐんぐん改善が進む分野は多いと思うのです。訴訟禍による医療崩壊とかですね。

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