私塾で新しい方法を試したい、とのことなので、ぜひやってみてほしい。
ただ、個人的には、経験上、成功の見込みは低いと予想してます。
だいたいこちらの記事に賛成なんだけど、端的にいって、60分、90分で凡人が学べることには限りがある。効率を上げると、すぐに限界を超えてしまう。講師が授業中に板書できる程度のことしか、生徒には伝わらない。言い過ぎました。正しくは、板書した程度のことすら、半分も伝わらない。それが現実なんですよ。
こつこつ板書する。ちまちまノートに書き写す。1回の授業で学んだことって、これだけ? そう。だけど、小テストをしてみてよ。100点を取れる生徒なんて、ほんの僅かしかいないんだから。
自信満々で新しい試みに取り組むのはいいことですが、成果の評価は客観的に行ってください。
まず、その成績で授業の出来を判断する「テスト」を作成する。次に、事前のテストの成績から能力均等の2クラスを編成する。そして新旧両方式で授業を行う。最後の試験で勝敗を決する。
ともかく、新方式だけで授業を行い、何の客観性もない感想シートを見て「どんなもんだい」と鼻高々になるのだけは、どうか勘弁していただきたい。
なぜ大学でスライドショー方式の講義が行われていたりするのかといえば、授業中に聞いた話の9割超を忘れて構わない、という前提があるから。教科書なんて、各章末の「まとめ」だけ覚えておけば試験をパスできる。高校までのふつうの授業では、聞いた話を全部覚えなきゃならないので、前提が全く違う。
大学入試センター試験で地歴・公民を受験して80点以上を目指す場合、教科書の太字部分を全て覚えるのは当然ですよね。200~400ページの教科書を3年間、授業中はもちろん家庭でも一生懸命勉強して、それでも努力虚しく70点程度だったりする。10を聞いて10を知るのが、いかに難しいか。
マルチメディアを駆使した上手な授業の事例は、何といってもテレビ番組だろう。
「クローズアップ現代」でも「ためしてガッテン」でもニュース番組の特集コーナーでもいい。
きちんとメモを作ってみれば、いずれも視聴者に伝えようとしている情報はごく僅か。メモを読めば10秒~5分程度で済む話を、3分~40分もかけて、ていねいに説明していく。それだけの手間をかけても、きっと、視聴者に小テストを受けさせたなら、結果はボロボロに違いない。
これはテレビリテラシーの問題ではない、と私は思う。
板書中心の授業は、教える側にも利点がある。まともな教師なら、板書の内容は事前にノートにまとめておく。下書きはパソコンでやっても、清書は手で行う。すると自然に、詰め込み過ぎに気付く。1回の授業でこんなにたくさんのことは教えられないな、もっとポイントを絞らなくては、と意識するようになる。
こういうことは、頭の中だけで気をつけていても、なかなかうまくいかない。板書中心の授業を行うと決めて、淡々と作業を行っていく方法なら、嫌でも問題点に気付く。板書ノートの清書に50分かかったら、生徒がノートに写す時間も、自分が解説を行う時間もないのは明らか。高校の授業なら長くて20分が目安でしょう。
なお算数や数学、理科などは、教科書の一部分の筆写も駆使します。実際に自分で筆写して必要時間を計測し、練習問題などに取り組む時間を確保します。こういうことを手抜きすると、休み時間に入っても授業を続行し、生徒の信頼を失うことになります。
本文にある通り、マルチメディアを駆使した授業は、大学や、社会人向けの講座などではポピュラーです。これは到達目標が高校までとは全く異なっているからですが、理系学部の多くの科目は、高校までと同様に「1から10まで頭に入れる必要がある」ので、良心的な先生は板書中心の構成を採用しています。
なるほど、教授側の時間ロス削減よりも、対話の促進に力点があったのだ、と。
大学で討論型の授業を経験した人なら誰でも知ってることだと思うけど、「エキサイティングな知的体験」ってのは、知識の習得のためには、極めて時間効率が悪い。結局のところ、やることを増やすのだから、授業時数を増やすか、自学自習の範囲を拡大するか、最低でもどちらかが必要。いずれも現実的ではない。
教師の問いかけを生徒が無視するといった光景は、たしかに記憶がある。寂しい。だけど、実際にいちいち生徒が熱い反応を返すと、授業が止まる。一人で何度も授業を止めて他の生徒を怒らせた私が言うのだから、間違いない。やっぱり高校の授業の代替にはなりえず、私塾でやるしかないと思った。
私の饒舌ぶりは、この記事を読めばわかる。そりゃ授業も止まるわな。