趣味Web 小説 2008-06-16

タバコ増税案と、遠のくピンピンコロリの夢

1.

人はいずれ死ぬわけであり、例えばタバコをやめたら肺癌にはなりにくくなるかもしれないが、代わりに他の病気にかかって死ぬだけのことだ。健康に気をつけていれば発症しにくい病気はあるが、やっぱり最後には、身体が弱ってきて、若い頃にはかからなかったはずの病気にかかって亡くなる。

また人は、生死に関わらない小さな病気にもかかり続ける。寿命が延びれば、そうした病気とずーっとつきあい続けることになるのだから、人生の総医療費も伸びていく。

英国と同等の水準までタバコを増税することに私は賛成だが、タバコ1箱1000円案に対し、一部の医療関係者やJT幹部が「医療費抑制にはつながらないだろう」と疑問の声を上げているのは、当然のことと思う。なぜなら、タバコ増税賛成派が「喫煙率抑制で医療費圧縮」と主張しているからだ。嘘を嘘といって何が悪い。

ところが、世間の反応はというと、「寿命が延びて医療費が増えることを問題視するとは!」と倫理的な批判ばっかりだ。モラリストならタバコ増税→喫煙率抑制→医療費圧縮という嘘だって批判すべきだ。

2.

タバコのため、働き盛りの年齢で健康を害してしまう人が、少なからずいる。私の父もそうだった。十二指腸潰瘍で、数年間、苦しみ続けた。禁煙したらすぐ回復。これは金銭的にも社会に損失が大きい。喫煙の害をいうなら、肺癌よりこうした病気の方が妥当ではないか、とも思う。

肺癌は60歳以上での発症が大半なので、従来は、社会への経済的な影響はそれほどでもなかったといってもいいのではないか。

ただ本来なら、平均寿命と健康年齢の延びに伴い、好景気が続いてさえいれば、多くの人が70歳くらいまで働き続ける社会が実現していたはずだ。高齢者医療費問題は、元気な高齢者が全員働き続ける社会となれば、解決する。大勢が60歳そこそこで仕事を辞めてしまうから、現役世代の負担が過大となるのだ。

60歳代に発症率が急上昇する病気は、これまで(社会の経済的な損得という視点からは)あまり重要ではなかったが、将来的には撲滅を目指していくべきである。

さりとて、生物学的限界もあり、80歳、90歳でバリバリ仕事ができるほどの元気が一般的になることは、まずありえない。当面、70歳代以上で発症率が急上昇する死病は、予防の優先順位を低く設定していい。

3.

もう長いこと、日本の社会は、その時々に死因の多くを占める病気の発症率を下げることに執心している。肺・気管支炎→胃腸炎→結核→脳血管疾患→心疾患→悪性新生物という具合。でも医療費という面からいうと、肺・気管支炎で亡くなるのが、いちばん安上がりだ。長く苦しむことも少ない。

だんだん、人生の末期が悲惨になっていっているようにも思える。

昔、癌から生還したはいいが、寝たきりになってしまった母方の曾祖母が、細菌性肺炎にかかった。もういいんじゃないか、となったが、抗生物質で治るのに、放置したら殺人だ、と医者は拒否した。曾祖母も家族も疲弊したが、自分たちだって病院へ行かないという選択をできなかったのである。

しばらくして、曾祖母は癌を再発し、また抗がん剤やらで数ヶ月も苦しめられた挙句に亡くなった。「なんで、死ぬのがこんなにたいへんになっちゃったんだろうねえ?」と曾祖母はいっていたという。

積極的な安楽死や自殺はさておき、かつての死病にかかったとき、そのまま亡くなることくらい、許されてもいいのではないか。健康寿命70歳の次には、ピンピンコロリという人類の夢が取り戻されるといい。

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