趣味Web 小説 2008-08-06

「順位をつけない徒競走」の指導法

「順位をつけない徒競走」にもいろいろやり方はあります。

私の小学校5年生の時の徒競走は「順位をつけない徒競走」でした。ちなみに兵庫県です。正確に言うと、当日の速かったチームではなく、当日までにタイムを一番縮めたチームがいいんだよというものでした。なので、運動会前に一度タイムを計り、そのタイムをベースに運動会当日のタイムを比較します。

走り終わったときに順位はなく、数時間後、張り紙がはられ、縮まったタイムを確認しに行っていました。

足の速かった私はこの制度に疑問を持ち、先生に「そんなんやったら、運動会前のタイム計るときにわざと遅く走ったらええやんけ」と言いましたが、「みんなのことを信用してる」と言われあえなく却下されました。

私の出身高校には全国レベルの陸上指導者が何人も在籍していました。ある程度の情報共有があったのか、無名の先生の指導法にも、興味深いものが多々ありました。その中に、運動会ではありませんが、「順位をつけない徒競走」に通じる指導もあったので、ご紹介します。

さあ今週から短距離走の授業を始めるよ、という初っ端の授業で、いきなり「小テストを行います。これは成績に直結しますから、一生懸命やりなさい」といって、タイムを計測します。

以後、数週間、いろいろな指導を行って、いよいよ最終回、再び「最終テストを行います。これは成績に直結しますから、一生懸命やりなさい」といって、タイムを計測します。これを準備運動後、2回くらい練習で走った後にすぐ行う。で、残った時間は生徒の好きなサッカーのミニゲームなんかをやらせておきます。

最終回の終了チャイムが鳴る直前、生徒を集めて「初回と比較してタイムが一番縮んでいたのは**くんでした。よく頑張りましたね」と発表。時間に余裕があればベスト5くらいまで。最大の成長株は、ふつう足の遅い半分の中にいます。だいたい体育の授業で褒められた記憶のない生徒だから、とても喜ぶ。

毎回、こういうことをやっていたら見透かされます。そこが難しい。だけど、種明かしさえしなければ「万が一」をみな考えますから、初回の小テストをわざと遅く走る生徒は、まずいません。ときどき「日頃の鍛錬も評価したい」などといって抜き打ちテストをそのまま最終評価とすると、非常に効果的です。

教師と生徒は、ほどよい緊張関係を保つこと。すると、様々な「仕掛け」が機能するようになり、教師の一方的な信頼が当然のごとく裏切られ、生徒のズルに逃げる堕落心が大きく育つ、といった不幸を避けることができます。

「みんなのことを信用してる」で了としてしまった先生は、もったいないことをしましたね。アイデアはよくても、具体的な方策が手抜きでは結果が出ません。

「全力で走れ」と教師がいっても、生徒は手を抜く。手を抜いた方が後で美味しいなら、なおさらのこと。マジメに頑張ったのに誰からも褒められない生徒も、手を抜いて表彰された生徒も、次第に世間をバカにし、憎むようになります。知恵を絞る労を厭い「信用」なる美辞で逃げる人々の未来は暗い。

補記:

ちょっと待て、順位、つけとるやんけ。まあそうなんですけど、ようするに、「速い=偉い」という価値観に対抗しうる価値観を教師が示す、口先だけでなく、身体的な実感のあるカタチで、という話。数週間、みんな頑張って練習して、「あ、速くなった!」と思う。その感覚は横一線。そこで勝負させよう、と。

無論、陸上部員なんか、もともと鍛えてるんだから、数週間でそんな速くなるわけがない。それで彼らが腐ってしまうかというと、それはない。やっぱり、「君が一番だ」といわれて大喜びした生徒だって、陸上部員がどれだけすごいかは、よくわかっている。数週間走り続けて、むしろ尊敬の念を強くするわけです。

基本的にはタイムの近い同士で組を作って走る練習をするんだけど、授業の最初の2走は出席番号順とか、誕生日順とか、座席票に従うとか、ランダム要素が絡むようにするわけ。自分が生徒だったときには理由がわからなかったけど、見事な工夫ですよね。速い=カッコいい、羨ましい、その感覚を忘れさせない。

プロの仕事には無駄がありません。

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