趣味Web 小説 2008-08-07

Apeman さんと HALTAN さんのやりとりを読む 1

以前より度々表明していることですが、私は、人の本心がどうのこうの、といった議論にはあまり関心がない。結果として表出する(した)こと、を重視することが多いです。「本質」派にとっては些細な違いでしかないだろうことを、大きな違いと認識して、対応に差をつけるわけです。

以下、状況説明は略。言葉の選択の問題について。

福耳さんも麻生さんも、意図が正しく伝わっていないなら釈明したいという意思を示したし、その結果、それぞれに、その場面で自分の意図を伝えるのにより適切な言葉を発見し、以降、同じことをいうのには新しい表現の方を採用するよう心掛けているように見えます。

麻生さんなどはきっと、今後も高頻度で「失言」を繰り返すと予想するけれど、おそらく、(ウッカリを除けば)全く同じ「失敗」はしない。

「真意が伝わらなかった」は、謝罪ではなく、過ちを認める発言でもない、かもしれない(個人的にはそのようには解釈しないが、一般的には辞書的な読解にかなり分があるとも思う)。しかしながら、非を認めた、認めていない、といったこととは別の領域で、「一歩引く」感性を示すことには意義があると私は考えます。

だから私は、HALTANさんが、Apemanさんを、福耳さんや麻生さんと区別することに疑問を感じない。過去の言葉の選択について、「(全面的に)間違っていたとは考えていない」点で共通するにせよ、「以後、自粛する」と「正しい言葉の選択を改める理由はない」では、それなりに違いがあります。

じつのところHALTANさんの意図は私にはわかりません。少なくとも上記のような説明はなさっていない。私はこう考えて、勝手に共感しています、ということです。

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