趣味Web 小説 2008-08-27

自由を擁護することの難しさ

1.

「折鶴オフ」の再現。

長崎平和公園とか行ったことがある人ならわかると思うけど、地元民にとっては上野公園や日比谷公園と同様の「公園」なのであって、路上パフォーマンスをやってる人もいるし、走り回ってる子どももいる。

上野公園にだって関東大震災や東京大空襲のつらい思い出がある。2005年に「時忘れじの塔」が建立された際に広く報道されたので、記憶している人も多いと思うが、上野公園は、かつて東京大空襲の犠牲者がリアカーで運ばれ仮埋葬された場所だ。(遺体は後に掘り起こされ荼毘に付された)

様々な楽しいイベントが開催され、私たちが楽しく過ごしている場所は、かつて無念の死を遂げた人々が埋められた地でもある。しかし先人たちは、あるいは多くの遺族たちは、いま私たちが上野公園で平和を謳歌し、楽しく歌い踊ることを不愉快に思うだろうか。

墨田区横網町公園はかつての本所被服廠跡であり、関東大震災で4万人が焼死した場所だ。5月頃、出張帰りに寄ったが、女の子たちがキャッキャいいながら最近人気のアイドルグループ「羞恥心」のダンスを練習(?)していた。不謹慎だ、と私は注意すべきだったのだろうか。

横網町公園は慰霊を目的とした都立公園で、毎年3月10日と9月1日に大法要が行われ、公園の「外」に縁日の屋台が並ぶ。厳粛な慰霊の儀式と、縁日を楽しむ人々の笑顔は、両立していると私は思う。無論、うずたかく積まれた白骨の山を見て、やっぱりこういう場所で歌い踊るのはひどい、と思う人はそれでよい。

ただ、ブログを炎上させ、当人の意に反する形で個人情報を晒し、急進的に社会的制裁を求めるのではなくて、もっと穏当に共存しようと考えることはできないか。

原爆ドームを背景にパンチラダンスとやらをする人の気持ちは、私にはわからない。不気味な感じもする。けれども、「わからないから、どうでもいい」「気持ち悪いから、消えてもいい」「ニコ厨m9(^Д^)プギャー」という風には思わない。

寛容の精神なき世界に平和はない。炎上のような数の暴力で、意に沿わぬ言動を叩き潰さんとするのは、大袈裟にいえば平和への挑戦ではないか。

2.

日頃の行いが悪かったので、この程度のことで異様な攻撃を受けるのである、なんて意見をいくつも見かけた。

どう悪かったのかと思ったら、「アイドル気取り」「調子に乗っていた」「バカっぽい」「コメントくれくれ厨でウザかった」……なんなんだ、それは。いじめっ子の論理そのものじゃないか。世の中にいじめられた側の体験談ばかり多いのは、いじめた側が無自覚だからだ、ということをあらためて認識させられた。

分析、として書いているなら、同意もできる。ひどい世の中なので、処世術として、こういうことに気をつけた方がいいかもね、というなら。でも違うんだな。一部に例外はあるのだろうが、だいたいはむしろ積極的な現状の追認・強化の意思表示なんだ。

あと、こうした話題になるといつもそうなんだけど、擁護側は奥歯にモノが挟まったような物言いをし、批判側がストレートに嫌悪感を表明する、というパターンが今回も踏襲されている。自分自身も原爆ドーム前でパンチラダンスしたいという人は皆無に近いので、どうしてもそうなってしまう。

自由を擁護することの難しさ、を痛感する。

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