趣味Web 小説 2008-08-27

水に落ちた犬を叩く人々

自分が敗者と判断した人物が、それでも撤退せずに持論を主張し続けているのを見て、「敵を増やして、バカだね」と冷笑する人は、自分自身が無意味に敵を増やしていることには頓着していない様子。確実に勝てる相手なら、いくら敵に回したっていいらしい。

で、こういう人って、バカにしていた相手に他の話題で言い負かされそうになると、今の話題とは無関係なのに、しつこく過去の話を持ち出して、所詮こういう人ですからね、とやるのが常套手段。

みな論理的に話をしている(2006-06-06)に書いた通り、人の意見はたいてい、論理に瑕疵はない。前提とする事実と価値観の相違が、意見対立を生む。議論を進めれば、事実については共通認識が得られても、価値観の差異は最後まで残る。価値観は人格と結びつくことが多いから、人間として云々みたいな話になる。

つまりさ、例えばの話、判例を研究する限り赤ちゃん殺しはざっくりいって0.5人の殺人とみなす、という考え方があることは事実なのだけれど、そういう歴史的な判例の積み重ねを重視する、という価値観の表明が、「人間として許し難い」みたいな反発を招くことになる、という。

こうなると、その後、全然違う問題で、どれほどていねいな議論を展開しても、「騙されるな! **は赤ちゃんの命は0.5人分とかいってたヤツだぞ!」で無効化されてしまう。

ふつう最初からこちらをバカにするような人とは議論しない。だから過去の議論の相手方は、やっぱりそれなりの人。時間はかかっても、意見は対立したままでも、お互いに一定の信頼関係を築けることが少なくない。でも勝ち馬に乗って人を見下してくるような人とは、いつまでも相容れない。

で、こういう人が一番しつこい。倫理的な枠組みに落とし込めば絶対に(ギャラリーの支持において)勝てるとわかっているから、何のリスクも感じずに平気で人を貶めて楽しむ。もう忘れてくれたか、と思ったら、またやってくる。

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