趣味Web 小説 2006-06-06

みな論理的に話をしている

1.

以前も書いたのだけれど、感情論はたいてい、論理がしっかりしている。

私は白い壁が好き+あなたは壁にポスターを貼るのが好き+あなたにとってポスターを貼ることより私の気持ちの方が大切なはず→我慢してくれるわね?

といった感じ。(大筋で)論理の破綻はない。無論、前提がひっくり返れば結論は変わりますけれども、話者の想定している条件が満たされている限りは、おかしなところはありません。

id:chanm さんがもうひとつ問題視しているのは「屁理屈」ですが、これもたいてい、論理はしっかりしています。

「感情論」や「屁理屈」がなぜ反対者への説得に効果的でないのかというと、論理に誤りがあるからではなくて、前提条件への同意が得られないからです。もっと書けば、「感情論」とか「屁理屈」といった呼称は、(多くの場合)前提条件に同意できなかった人々が、気に入らない主張に貼るレッテルに過ぎない。

自分のお節介や自己中を常識や論理にすり替える才能は評価に値するけど、あれどうにかならんかなあ。

それは「すり替え」ではないのですね。「私」の提示した前提条件を「お節介」とか「自己中」とみなすのは価値判断の問題であって、それを「常識」とみなす「私」の世界観との対立があるだけのこと。狭い経験から書くなら、その人は本気でそれを「常識」と考えていることがほとんどのはずです。

そして、「論理」は価値判断とは別の次元でただそこに存在していると考えた方が、頭がスッキリしてよろしいかと思います。

2.

先の例文には、隠れ条件が多々あります。「ポスターを貼ることを我慢するあなたの気持ち私が白い壁を諦める気持ち」とかですね。でもこれは別に、論理的な破綻を意味するものではない。「あなたより私の方が大切」という主張を自己中心的だと批判するのは全くかまわないけれども、それは「私」の論理を外側から攻撃するものであって、論理的な誤りを突いてはいません。

「矛盾を指摘したのに言い逃れをされた」といって怒っている人がいますが、私が見るところ、その大半は隠れ条件をめぐるやり取りです。相手の意見を「非論理的」と決め付けて、相手が書いていない部分を自分の主張に整合するように補ってしまう。例えば「私」と「あなた」は平等だと決め付けて、「あなた」に一方的な我慢を強いるのはおかしい、とか。けれども「私」が白い壁を切実に希求しているなら、「あなた」がちょっとポスターを貼りたいと思っているだけのことと平等に扱う方がおかしい、ともいえます。

全ての材料を最初に提示しておくのは難しく、また相手の語ったことだけを議論の材料としていくことも難しい。お互いに手探りで意見を詰めていく過程で、「言い訳をするな」とか「後出しジャンケン」といった批判を始めるのは感心しません。相手の主張には論理的整合性があると予想し、柔軟に想像力を働かせながら、お互いの言葉の隙間を埋めていきたいものです(これが難しい)。

すると最終的に、議論の焦点は価値判断の差異か、ある事実の有無に帰着します。

事実の調査はともかく、ここで「価値観は人それぞれ」といってしまうと合意は永遠に得られません。もし結論が必要ならば、「私はこう思う」ではなく「あなたも私もこう思う(よね?)」といわなければならない。議論が「常識」争いとなりやすい所以です。

id:chanm さんが疲れてしまうのは、結局のところ、id:chanm さんもご自分の「常識」に自信を持っているから。自分がそうである程度に、相手もそうなのだろうな、と考えることができれば、ある種の徒労感からは解放されるのではないでしょうか。相手も私の「非常識」に呆れ、「なぜこんな簡単なことがわからないのか」と苛立ち、そして「意地を張らずに意見を変えたらいいのに」と思っているに違いない。

3.

id:tot-main さんの「感情的」の反対は「理性的」で「論理的」の反対は「非論理的」なんじゃないの?というまとめは明快。

そこに付け加えたい私の主張は、「感情的」とか「理性的」というのは価値判断によるので、お互いに相手の意見を「感情的」だとか、「理性を欠いている」などと思っているのだろうね、という話。

4.

ところで今回の話題は「論理的」が嫌いな理由(id:fujipon さん)から辿ったのですが、この id:fujipon さんの意見は謎のまま。どうやら、説明を端折って「非論理的」とだけ断じることを批判している様子なのですが、結論がおかしい。

「論理的」なんて書いている時点で、どんな偉そうな人でも、底の浅さが見えまくってしまいます。と飛躍し、本当は、その背景に「確固とした論理」なんてないからこそ、こんないいかげんな言葉を使っているのに。と決め付ける。肝心のところに手抜きをしているのでは?

もうひとつ、id:trivial さんの指摘はもっともだけれど、私(たち)が「議論の交通整理をしたい」という観点からあえて「論理的」という言葉に形式論理学を援用した価値中立的な定義を与えようとしていることも理解してほしい。

議論のレッスン 説得の論理3つの技法

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