趣味Web 小説 2008-09-08

解毒の儀式 エクストリーム・愚痴話、みたいな

一部で「朝青龍スレ」として有名な、奥さんの不倫がきっかけで離婚した人の体験談。やっと読んだ。

この手の愚痴っていうのは、自分を悪くはいわないもの。とくに2chのような場で語ることは、絶対に検証なんかされないので、どんな嘘でも入り込む。無論、本人は100%ホントのことを話しているつもりなんでしょ。そのときはね。

まあ、そうだからこそ、生の感情が露呈してしまって、しばしば袋叩きに遭うきっかけともなる。

長々と書いてる「1さん」も、けっこう危うい面をさらけ出している。

自己正当化のためなんだろうけど、徹底して自分だけが冷静でカッコいい人間という描写に終始する。容姿はふつう、といい、間男とその彼女を美男美女と書いて眼くらましにしているけれど、読み進めば結局、美男・美女ゆえにいっそう滑稽なシーンが登場し、キツイ皮肉が飛び出す。

奥さんについては昔:aiko、今:朝青龍と書き、「ブフー」「ブモー」と喋らせて、バカにして笑いをとろうとする。みんな欠陥を抱えているので、相対的に常識人の「1さん」がワンランク上の人間に見えてくる仕掛け。でも、これ全部、「1さん」が書いているわけでね。むしろ気持ち悪い、と私は思う。

愚痴を聞くというのは、まあこういう気持ち悪さを乗り越えて、相手の心情を受け止めること。私はもうすっかり嫌になったので、予め「愚痴っていい?」と訊ねられたら、「他の人にした方がいいと思う。自分はきっと、黙って聞けない。心が狭いから」などと答えるようにしている。

こうまで周囲の人々を貶めてみせないと、自らを浄化できない。誰にもそういうときはあるのではないか。解毒の儀式に目くじらを立てることはない。助け合いの精神でいこうよ。頭では、そう思うのだが。

そもそも私がこの手の話題に共感できない、というのも大きな壁。人間の身体構造から考えて、1対1の恋愛は不自然である。愛情と独占欲は脳の仕組みからして無関係ではないのだろうが、家族愛や友愛は1対1の独占的関係を(必ずしも)要求しないのであって、人工的な文化の影響が相当に大きいのではないか。

恋愛関係と独占欲の癒着は、世界に利益をもたらしていない。奥さんの不倫をことさらに問題視すること自体がくだらない。

あるいは、「1さん」の書き様だと、奥さんが不倫してようとそうでなかろうと、あまり奥さんを大切には思っていなかった様子。むしろこれって奥さんの不倫にかこつけて冷めた関係を清算した話なんじゃないか。完結編で「1さん」は奥さんに説教をするのだけれど、私には白々しく聞こえる。

序盤の飽きた2ちゃんねらーの反応が正直すぎる。

「1さん」は愚痴を聞いてもらって、たくさんの共感を勝ち得たつもりだったけど、相手は単に面白い話を聞いて楽しんでいただけだったという。「1さん」への同情や賞賛の声は、結局のところ、市川團十郎の舞台で「成田屋~」と声を掛けるようなもの。場(と読んでる自分の気分)を盛り上げるための道具だった。

それがいけないというわけじゃない。つまらない愚痴をエンターテインメントに仕立てた「1さん」には、もてはやされるだけの資格があった。でも当然のことながら、飽きられたらそこまでなんだな。それで「1さん」は、ますます面白文体をレベルアップして、笑いあり涙ありの物語を綴る。

お疲れ様でした。

追記

一部を拾い読み。テレビドラマで人気があるような話って、2ちゃんねるやはてなブックマークでも人気があるんだな、と思った。

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